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「脱ゆとり」から「脱偏差値」へ

☆前回、「脱ゆとり」が「偏差値重視教育」に陥っていると指摘した。それゆえ、「脱偏差値」へなのだが、偏差値という統計手法を使うのをやめようなどということを言っているのではない。

☆しかし、それは手段だから使い方を間違いないようにしようということでもない。もちろん、正しい使い方をしていないから、子どもたちから自信や自己肯定感を奪っているのだが、正しく使っても、自信喪失や自己否定感の深刻さを解決することはできない。

☆では、「脱ゆとり」=「偏差値重視教育」の根本問題は何か?

☆それは9・11にもフクシマにもアウシュビッツにもアブ・グレイブ収容所にも、今回のウクライナ問題にも共通する問題である。

☆一つの固定された尺度だけで決定が下され続けると、その決定者側に立つか決定される側に立つか、ロールプレイが固定化されるということなのだ。

☆支配―被支配、権力―従属、富裕層―貧困層、抑圧―被抑圧というロールプレイが固定化する。

☆スクールカーストだとかいじめや体罰の問題が噴出するのは、このシステムが細部にまで浸透しているということなのである。

☆そういう意味では、姜尚中氏や諸富氏ではないが、日本社会は内なるアウシュビッツなのである。

☆それゆえ国際社会は、共に生きようとしない日本国家を危険な組織として監視を強めているのである。

☆フクシマ問題を解決していない原発をトルコに輸入するというのは、民主主義社会にあってはどう理由をこねてもおかしいだろうと国際社会は思っている。

☆安心安全の社会をつくるといっているのに、未解決の原発を稼働しようとしている。この矛盾はおかしいだろうと国際社会はアンテナを高く立てている。

☆領土問題では国際法を主張しているのに、捕鯨調査問題では、その国際法にもの申してくる。なんでこんな矛盾を日本は平気で主張できるのだろうと国際社会は不思議に思っている。

☆批判的思考やメタ認知能力の低さに、民主主義社会の未成熟さをみている国際社会。実際何が批判的思考だ、メタ認知だ、大学入試に役に立たないと心底思っている学校現場も少なくない。

☆この状況の中でグローバル人材を育成しようというのである。このままではハンチントンの「文明の衝突」のシナリオ通りになってしまう。小松左京の「日本沈没」のシナリオ通りになってしまう。

☆このジレンマを解く問題解決能力を養うには、「脱ゆとり」から「脱偏差値」にシフトしなければならないのは民主主義的社会の1つの見識ではないか。

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