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「21世紀型」という意味

☆もう21世紀なのだから、めざすは22世紀じゃないのか。20世紀は組織がピラミッド型だから、フラットなアメーバーやピザパイ型の組織が21世紀だよね。目標なんかなくてもよいよね。

☆20世紀は講義形式だから、21世紀はプロジェクト型にしなければね。

☆20世紀は知識偏重だから、思考力を養成する授業じゃないとね。

☆もう教師はいらない自動的に学べる機会学習がディープラーニングだ。

☆iPadは最強の学習ツールですよね。

☆本間さんも同じ考えですよね。

☆いえ、まったく違いますよ。

☆22世紀や23世紀ではダメなんです。20世紀に対照的な言葉は21世紀でなければならないと思っていますよ。中世に生まれ20世紀に頂点に達した化石燃料略奪資本主義が、共生資本主義に転換する大事な時期が21世紀だからですよ。

☆この市場経済を支える知を創造するのが21世紀型教育です。

☆収奪資本主義を温存してICT教育だグローバル教育だというのは、リベラルアーツは全く発想にないということですね。

☆リベラルアーツは、あらゆる基準や目標の正当性・信頼性・妥当性を議論する学びだからです。

☆目標がないくてもよいというのはすでに目標です。水を飲みたいという意欲を達成するのだって目標は必要でしょう。すべてはルビンの壺です。完全に目標がないという世界は、現在どこにもありません。目標がない世界といった瞬間に目標のある世界を変えようという目標が現れます。

☆講義型かプロジェクト型かが問題なのではありません。内面で自問自答されているか、アウトプットして問答が行われるかは、そのときの参加者の諸条件によるでしょう。

☆講義型とは、自問自答が生じずに、情報を録画しているに過ぎないことを象徴しているだけです。プロジェクト型でも、予定調和的な問いに解答を組み立てていくようなものは、そこに問いと解答の連鎖をつながげる思考がないわけです。

☆思考は諸関係を表現する方程式=関数です。知識はその関数の解です。知識がなければ関数は完成しないし、関数がなければ知識は生み出されません。すべての現象はルビンの壺です。

☆知識を伝える時に、その背景に関数をみられるような準備も端子を作っておくか、まったくそれを作らないかで、知識=思考になるか知識偏重になるかの違いがあるだけです。

☆もう教師はいらないということは、ないでしょう。あってはなりません。教師のみアンチ権力、アンチアイヒマンで生きていける職業だからです。Webやディープラーニングの世界はフラットで監督者も教師もいらない。でもそれを支配する権力者はいる。

☆Tシャツ来て、ジーンズはいて、口ひげ生やして、スマイルで忍び寄る権力者。それが真の20世紀の姿です。魔女ランダや魔王を誘うユダですね。

☆21世紀という時代は、その誘惑から逃れるシステムをつくります。すると魔女ランダはささやきます。自分事という感覚が最も重要ですよと。これは国連のギャラリーに掲げられているマタイの黄金律と真逆です。

☆自分のやりたいことができる環境を作ることを勧めすという学校も現れている。着実にユダは、魔女ランダを導いています。

☆堕天使がカトリック学校に舞い降りる危機感もでてきましたね。

☆ルシファーはIPadこそ光だという。最強のツールだという。モーゼの十戒が書き込まれたタブレットに代わるものだと。

☆最強のツールは人間の言葉である。いや最強はロゴス。はじめにロゴスありき、それは光であった。

☆どうか、ロゴスのプロテスタント主義の女子校よ、魔女ランダに心を売らないでほしい!すでに、一校は売ってしまった。もう一つも巻き込まれている。マックス・ウェーバー研究家の校長、惑わされないように!

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