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教育の質をevaluationする必要性(2)

☆二田先生は、総合的な学習の時間で、ものの見事に、効果を上げている。その学びのプロセスは、アクティブでインタラクティブでクリエイティブであるが、ただそれだけではない。L3dworld

☆もしこれだけだと、総合学習は体験中心だけれど、ああおもしろかったで終わり、学力が向上しないのではないかという、必ずでてくる定番の非難にぶつかる。

☆二田先生も総合的な学習の時間で、紹介していたスウェーデンのヴィトラ・スクール。アートと学びと空間が結びついた夢のような教育として以前から話題になっているが、このところPISAでスウェーデンがおもわしくない結果に終わっているので、スケープゴートになりそうな話題もでているようだ。

☆ゆとり教育から反ゆとり教育にシフトした日本の現状とシンクロしている。このような非科学的な非難は、米国のプレップスクールでもある。カリフォルニア州の超有名プレップスクールであるケイトスクールやチャドウィックスクールは、プロジェクトベース学習(PBL)が日常化しているが、外部からはいつもその非難を受ける。ただ、それでも結果的にハーバード大学やスタンフォード大学に多数進学するから、当局はどこ吹く風であるが。

☆要するに二田先生の総合的な学習の時間とケイトスクールやチャドウィックスクールのPBLの共通点は、学びのプロセスが、上記の図の3つの次元をすべて満たしているということなのではないか。

☆わたしは、このLearning 3DをKnotworkingの内包性だと思っている。この概念は、高橋一也先生に影響を受けた。先生の東京私学教育研究所の支援研究「プロジェクトマネジメント」で取り上げられていたヘルシンキ大学教授ユーリア・エンゲストローム教授の著書に学んだ。

Engestom

☆二田先生も高橋先生も、学びは常に開放系になっているし、生徒の自己肯定感にもつながっているし、なんといっても思考へのどこでもドアを、つまり教科横断的機会を設定している。しかも、言語と数学の理論をツールとして媒介してる。

☆ノットワーキングであるL3Dの第3の次元が学びのプロセスにある。この3次元のSLMTがないと、どんなに体験学習やフィールドワークを行っても、自然と社会と精神がエコロジカルに循環しているかどうか吸いあげることができない。

☆吸いあげたとしても、循環していない矛盾を発見できない。たとえば、マクドナルドという会社は、社会学的批判を自ら受け入れ、研究対象になっているのに、その成果を日本の学校では投射することなく、マクドナルドのマーケティングの部分だけをきりとってプロジェクト学習的な~ことをやって、マクドナルドのお兄さんに感謝しようなどとなっている。批判と非難を区別せず、批判をタブー化する。

☆クリティカルシンキングが忌み嫌われるわけである。民主主義不在、よって生徒不在・・・。

☆ともあれ、ノットワーキングであるL3Dの3次元があるからこそ、この学びのプロセスが開放系になるのである。

☆絆やネットワークキング大切だとされているが、その結び目の内包性と開放性が熟していないと、同調抑圧という力で紐帯が固められる。ネットワークがイノベーションを起こさないパラドクスが起こる。

☆宮台真司さんがよくいう、空気に縛られた社会ということ。

☆さて、このノットワーキングによって、どんな効果があるのか?私にはそういう愚問に解答する必要はないと思うが、念のため。世にいうグローバル人材やリーダーが、ただし、オーセンティックな・真正なグローバル人材が育つ。

☆証拠を見せよと言われるかもしれない。そういう方は、そうでない証拠をまずは持ってこないと。少なくとも従来の方法でグローバル人材が育成されていたなら、世の中こんな議論はないのだが。

☆とにも証拠は?歴史を振り返れば、山ほどあるのではないだろうか?学校システムとしてはなかったかもしれないが、偉業をなした人物の学びの体験をリサーチすればノットワーキングシステムを体験しているはず。

☆その体験を、すべての子どもたちが共有できることはよいことではないか。そのためには、その教育プロセスのシステムを学校が受け入れることである。

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