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かえつ有明のイノベーション

☆前回豊島岡女子のイノベーションは、基本は東大や医学部、部活動を前面に出す20世紀型教育の頂点を目指す持続的イノベーションであるが、0.8%の生徒を対象に破壊的創造イノベーションを始めているという旨を書いた。

☆それに比較すると、かえつ有明は、破壊的創造イノベーションを邁進しているといえる。

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同校サイトには、副校長石川先生のビジョンが掲載されているが、これを見ると同校の破壊的創造イノベーションがまたまた立ちあがっていることが了解できる。石川副校長は、21世紀型教育には3つの大きな柱があると語っている。

1)感性・直感力のアンテナが立っていること

2)その感性や直感をロジカルに組み立てて伝達する能力

もちろん、感性とロジカルな能力というのは対になっていて、片方だけではうまく機能しない。

3)人と関わり合うこと

☆人と関わるということは、体験を経験値にする大切なプロセス。たいていは体験して楽しかったで終わるが、それを経験値として生徒が取り込んでいく。

☆経験値として取り込むトレーニングがデザイン思考。そのあとそれを分析してロジカルにシナリオを編集する。

☆しかし、そのシナリオのプロトタイプを編集したあと、メタ感性で振り返らなければ、そのプレゼンが、聞き手を世界に引き込むインパクトがあるかどうか判断ができない。

☆20世紀型教育は、体験とロジカルな授業は分断されていた。体験は体験、授業は授業となっていた。しかも授業はロジカルというより、知識を記憶する道筋がロジカルなだけで、自分でシナリオやストーリーを構築することはなかった。完全にイマジネーションやクリエイティビティは欠落していた。

☆それが20.5世紀型教育になって、授業の中にイマジネーションやクリエイティビティが必要になってきた。小論文やエッセイが大学入試にも出るようになってきたし、グローバル教育の重要性も喧しくなったからだ。

☆しかし、日本語IB構想は、なんだかんだといってインパクトがあった。リベラルアーツを、1条校でありながら、明確に取り込むという話だからだ。

☆リベラルアーツの土台は、純粋理性批判と実践理性批判と判断力批判をどう統合するかという問題であり、それに解答できなければ、体験と授業をなんちゃってアクティブラーニングでまことしやかにリンクするだけの20.5世紀型教育にとどまってしまう。

☆成熟した全球市民のリーダーを育成するには、純粋理性批判=認識論、実践理性批判=倫理学、判断力批判=美学の3つの領域を統合する必要があるのだ。それが21世紀型教育の土台である。

☆石川先生の21世紀型教育の3つの柱は、見事にこの3つの領域と重なり合っている。

☆感性・直観力の話は、美学のことである。ロジカルに組み立てて伝達する能力は認識論であり、論理学である。そして人とのかかわり合いは、倫理学である。

☆かえつ有明の校訓「怒るな、働け」は、それ自体が一つの美学である。そして、怒るなは倫理学、働けは認識論。つまり、かえつ有明の校訓は、

新ビジョン=美学{倫理学.認識論}

☆という新しい関数関係態として再生するわけだ。かえつルネサンスがいよいよ動き出すということであろう。

☆具体的には、美学はアート活動に、倫理学はPBLというチーム学習に、認識論はPILという対話型(弁証法型)授業に体現する。

☆もちろん、同じ21世紀型教育でも、美学と倫理学を地にして、論理学を図にするタイプもあるし、かえつ有明のように、3つの領域を図にして、地には教師の研修(教師間のU理論的ダイアローグ)というスタイルのところもある。

☆21世紀型教育は、3領域のリンクの仕方によって、多様なスタイルを表現する。まさにそこが、金太郎飴の20世紀型教育と大きく違うところである。

☆かえつ有明の教育論によって、21世紀型教育の輪郭を明快に映し出すことができた。これが同校の教育のリアリティなのではないだろうか。

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