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21世紀型学力観の旗手海城教頭中田先生(4)

☆グローバル教育はエリートだろうがそうでなかろうが、全球/全人市民を育成することが目的である。多くの国では、18歳で大統領選挙の一票の権利を持っている。だから、アメとムチの抑圧道徳や慣習としてクリティカルシンキングが作動しない慣習道徳から脱する脱慣習道徳の学びが行われる。

Taxmoral

☆中田先生が注目しているIBのDPには、TOK(theory of knowlege)という哲学授業がある。日本の場合、精々現代思想の文章が入試問題の素材に出て、その読解で終わる。

☆DPのTOKでは、それは契機にすぎず、そこから自分なりのそれでいて公共的に通用する理論を展開していく。そのときに、ディスカッションのプロセスは当然で、勝手に話しても、それはそれで許してやるというような抑圧道徳や慣習道徳は論外である。

☆それに自分で立ちあげる問いの質や、そのカバーする領域や、その解答を表現するメディアの種類など細かい設計が必要で、それを思考するシステムプロセスが生徒と共有されていて、自分の意見とその理由を語りなさいというようなラフな指導はされていない。

☆さて、J.S.ミルの「表現の自由」という名著の「表現」とは何をさしているのか?「ディスカッション」なのである。

☆日本の文化にはそうい考えはないのだろうか?そもそもプラトンやソクラテス、アリストテレスは、当時はアジアに属すると考えられていたようだ。つまり、イエス・キリストだってそうだ。

☆日本の文化がもともとその影響を受けていないはずはない。だから、聖徳太子は第1条で、和をもちだすが、17条めでは、だからといって議論なしの和は誤りであると言うのである。

☆功利主義者J.S.ミルも、その合理的損得勘定の判断基準は、メタレベル、自己決定としての評価基準である。それは、聖書の黄金律であると。この黄金律は、ニューヨーク国連のギャラリーのロックウェルのモザイク画に刻印されているものと同じである。

☆グローバル教育の目標は、認知的にはメタレベル、自己決定としての評価のレベルであり、道徳的には脱慣習道徳である。

☆これは、現代思想に多大な影響を与えた、ハーバーマスやローティの見解でもある。もっとも、ローティは、そうはいっても創造的活動は、高校では無理だよと言っている。ハーバード大学のガードナー教授も同意見。

☆ここは、小林りん氏のデザイン思考の見解とはだいぶ違い、たいへん興味深い。解なき社会とは、この段階の話ではあるまいか。

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