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大妻中野はなぜ強いのか (5)

☆光村先生の高1の世界史の授業が、実におもしろい。電子黒板「も」使いながらの講義形式授業だが、そこには最も21世紀型教育の真髄があった。21世紀型教育の本質は、アクティブラーニングにもICTにも英語にもない。それは本質を生み出す過程であり現象である。

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☆だからといって、それら現象は仮象に過ぎないというのではない。現象がなければ本質は映しだされない。本質なき現象は空虚であり、現象なき本質は虚無である。

☆そういう意味で、光村先生の講義は、21世紀型講義である。リアルな黒板と電子黒板が融合した生徒と教師の最も21世紀型ツール(instrumentally)を駆使した授業を行っていたからだ。

☆何を言っているかわからんと叱られそうだが、ここは確かに難しい。というのも頭を数学的トポロジー思考に切り替えなければならないからだ。要するにドーナツとマグカップは、位相空間的には同じであるというような考え方。

☆どういうことかというと、21世紀型教育というのは、教師と生徒の媒介ツールが、優れた21世紀型ツールであり、それによって生徒がフロー状態(没入状態)になる教育なのである。

教師―21世紀型ツール―生徒→フロー状態

☆という方程式。こう考えれば、実は最も優れた21世紀型ツールは、「言語」なのである。もともと「言語」は情報を伝えるだけの道具ではない。しかし、20世紀型教育は、言語という機能を意味伝達に矮小化した。

☆耳を澄ませてみよう。「言語」は「音」を発し、「文字」を描き、「意味」を創り、「行動」を喚起し、「気持ち」の掻き立て、「想い」を風に載せ、「過去」を記憶し、「未来」を見通すなどなど。つまり、芸術活動がコンパクトに収められている。

☆いわば、人間存在そのものである。だからCEFR基準は人間の存在権利の門番である欧州評議会で決められた。

☆そして、この「言語」の本質が20世紀型教育によって規制されてきたことを弾劾し、「言語」の機能に息吹を吹き込み、蘇生するツールとして、ICTとアクティブラーニングが21世紀型ツールとして開発された。

☆であるならば、21世紀型ツールの本位は、「言語」の機能を最大限発揮できるものがよい。それは「言語」それ自体が最大のパワーを持っているというパラドキシカルな結論がゆえに、「言語」は最高最大最強なのである。

☆だから、ドーナツかマグカップかではなく、同一位相空間であればよいのである。つまり、ICTやアクティブラーニングか言語かということではなく、21世紀型ツール=人間存在全体を立ち上げるスペックがあればそれでよいのである。

☆光村先生の「言語」は、教室中に、第一次世界大戦やその後の世界をめぐる事件や政治家たちの水面下の交渉がリアルに映し出された。もちろん、それは電子黒板にではない。教室中というのだから、それは生徒たちの脳内スクリーンにということだ。

☆もうおわかりだろう。電子黒板やオンライン、YouTubeの動画は、現象で、重要なのは、そのスクリーンを網膜に映し出して終わりではなく、自分の脳内スクリーンに自らの映像を逆照射できることが21世紀型教育なのである。それゆえ、美学が21世紀型教育では重要になるのだ。

☆美学こそ没入状態というフロー状態が生徒自身を震撼させ感動させ集中させる学びである。およそ40人の生徒が、光村先生の歴史スペクタルを映し出す言語を、自分の脳内スクリーンに変換する。だから、前のめりになって授業に参加しているである。

☆光村先生は、電子ボードを生徒たちが脳内スクリーンに逆照射させるパワーを供給するツールとして巧みに使っていたのである。

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