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三田国際インパクト(3)グローバル社会をサバイブする知のデザイン

☆「三田国際の教師の高い質。しかも教師の層が厚いのに驚いた」。これは父親が入試傾向・対策説明会に参加してつぶやいた言葉である。

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☆私も参加して、本気で凄いと思った。1980年代の河合塾や今でも東進ハイスクールで人気の英語の講師は、現代思想の旗手さながらであるが、予備校ではだいぶ少なくなった。

☆オンライン化され、テレビタレント化され、少数の講師がブランドを拡散し、他の講師は真面目に教えていればよいのである。大学のオンライン化の将来を予告しているような動きではある。

☆それが、三田国際高等学校には、大輪の花を開いているのだから驚愕。かつてなら、スター教師として有名になっていたであろう実力者が、三田国際高等学校の中で、本物の教育を実践している。

☆デジタルネイティブ受験生は、これは幸せの学園であると直感したに違いない。

☆グローバル教育の根幹はリベラルアーツだといわれるが、誰がそれを生徒と学ぶのか?教師であるのは当然であるが、リベラルアーツは教科越境型の思考力が必要だ。

☆ところが、一般に教師は縦割りの教科という学問一歩手前の領域で知識を教える職業であるとされてきた。学者と教師は違うのだと。

☆だから、クロスカリキュラムなどできるわけがなかった。クロスカリキュラムという教科横断型の授業ができないのに、リベラルアーツができるわけがない。

☆アクティブラーニングも、リベラルアーツが学べないなら、なんちゃってアクティブラーニングで終わるだろう。

☆しかし、三田国際高等学校の教師は、夏目漱石やラフカディオ・ハーンが大学で教える前に、高校で教鞭をとっていたように、学問的領域まで探求している教師がずらりなのである。

☆そんなことができるのか?それは大橋学園長のビジョンが学問まで追求せよというものだから、自ずとそこを目指す教師が育ち、また集まってくる。

☆国語の体験授業は、2クラスだったが、どちらも同じプログラム。つまり2人の教師が同レベルの授業をやっていたのである。その授業こそ、ヴィットゲンシュタインの言語哲学。文章を読んでまとめるなんて20世紀型の授業ではない。

☆ワークシートの問いをチームで考えていくことで、最終的にはヴィットゲンシュタインの言語哲学に到達するという授業。振り返りをして、今回の授業で幾つかの問いに回答していった自分の考えをまとめれば、小論文ができあがってしまうというクリエイティブな授業。

☆このヴィットゲンシュタインは、ヘーゲルの言う意味での弁証法は毛嫌いするが、不思議にもソクラテス以来の弁証法の罠にちゃんとはまっている。

☆その罠にチャレンジする現代最高の哲学者ユルゲン・ハーバーマスのコミュニケーション行為論をベースにしているのが社会科の教師。

☆20世紀の戦略的コミュニケーションと21世紀型の生活世界コミュニケーションの弁証法を解き明かしていく。東大学歴ピラミッド社会は、前者で、グローバル社会の市民は後者。

☆ダイレクトに世界に通じていくリベラルアーツを好みデジタルスキルをもった受験生が三田国際を選ぶはずである。

☆そしてなんてたって数学の教師がすごすぎる。さりげなく現象の関係諸関係を方程式化する図形問題を作成し、受験生と楽しんで解いていく。この関数化こそ、ヴィットゲンシュタイン以降の数学の限界を乗り越えようとしてきた数学者の歴史でもある。

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☆その数学の先生の≪Simple yet Powerful≫な思考手法に感動して、部屋を出たら、急にその空間は、響きだしたのだ。≪GEB≫というコードを奏でるダグラス・ホフスタッターが現れた。

☆あたりは、IBのTOKやハイレベルマスの空間に充ちていた。

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