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2020年大学入試問題は、今の大学入試問題とどこが違うのか?

☆2020年大学入試改革における新テストは、ロジカルシンキングまでは出題してくることはおよそ決定済み。問題は、その後の国公立大学や難関私大の独自入試問題。

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(聖学院の伊藤先生の国語の授業は、ロジカルシンキングまできっちり生徒と理解し合い、それをベースにクリティカル&クリエイティブシンキグに到るアクティブラーニングを展開している)

☆新テストの問題の想定が全国学力テストやPISAであることを顧みれば、おそろしく形式的で内容が乏しいものになりそう。

☆それがゆえに、結局今現在の独自入試レベルでよいとするならば、それは極めて残念なことになるが、今年から行われる東大の推薦入試は、少なくても東大の帰国生入試のようなクリティカルでクリエイティブシンキグを要する問題は最低想定されているから、なんだかんだといって今より思考のレベルは深くなり、もしかしたら世界を変える思考力を要する問題がとびでてくる可能性がある。

☆平成29年から実施される予定のお茶の水女子のフンボルト入試もそのシステムを見るだけでも今現在の国語入試で出されている300字くらいの小論文入試とは次元が違うだろうということはピンとくる。

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☆国公立大学の75%は小論文を課していると言われているが、文章が提示され、それを理解したうえで筆者の考えに対し、自分の考えを論述するタイプが圧倒的に多い。

☆この形式の小論文のどこが問題かというと、文章を論理的に理解したうえで、与えらえた文章のあいまいな部分や未解決のところを見出して、そこを補う程度の小論文が多いということ。

☆一見、クリティカルでクリエイティブだが、そのあいまいな部分や不足している部分は筆者の論理の延長上で書けばよいので、結局は論理的推論で終わってしまうということ。

☆たとえば、フンボルト入試をやろうというお茶大の2014年の国語の問題はその典型である。近代的自我が、実は合理的に理解できる顕の領域と冥の領域の統合体で、無意識の部分である冥の領域はなかなかコントロールが効かないデメリットがあるという筆者の文章を読んで、要旨をまとめたうえで、自分の考えを300字で書く問題が出題されている。

☆本来、世界を変える思考力を試すのであるなら、オックスフォードのように「カタツムリに意識はあるか?」という問いを投げねばなるまい。

☆2014年のお茶大のような問題だと、合理的な顕の部分をしっかり自覚して、冥の領域に翻弄されないようにしっかりしようよという道徳的な解答で終わるものが多い。

☆何せ筆者の考えを踏まえるのであるから、そうなるのは当然だ。しかし、オックスフォードの「カタツムリ」の問題は、実は近代的自我の設定自体をひっくり返そうではないかという問題だ。顕と冥の二項対立は、自我を取り巻くもっと複雑な関係の氷山の一角にすぎない。実は筆者も関係は存在に先立つと言っている。ここをもっと深めて行けば「カタツムリ」の問いかけと同じになるが、300字で、全体の筆者のトーンを前提にすると、不足部分を推論する予定調和的な解答で十分なのだ。

☆しかし、今までの大学入試に合格するという意味ではそれでよかったが、これからのグローバル大学入学準備教育は、世界を変える思考力を要する。そのまま人生の冒険を問われるのである。

☆そんな予定調和の今までの日本の大学入試の合格答案の作り方は、グローバルで、今までの20世紀型固定観念が打ち砕かれる時代に全く役に立たなくなる。

☆この違いについて、メディアはまだ本格的に取り上げていない。しかし、オックスブリッジの口頭試問が出版されたり、「〇〇思考」という書籍がどんどん出版されている今日、その兆しはでてきたといえよう。

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