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21世紀型教育を求めて≪56≫ 「世界を変える思考力」について熟議

☆昨日は、始発のバスに乗って移動し、帰宅したのは0時を過ぎていた。何人の校長先生とお会いして対話をしただろう。最後は大手町で教育関係者と学校関係者の皆さんと知の饗宴だった。

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☆10人以上の志の高い方々と時間も場所も違うところで対話をしたため、共通のコンセプトとそれに対する多様な見方をブレンドできたような気がする。

☆思考コード/知のコード、つまりタキソノミーやルーブリック、グローバルコンピテンスなどのメタ認知バージョンは、暗黙知が故に、見える人と見えない人がいる。

☆見える人は、ニュートンやカント的な発想を持っているが、見えない人は本質は名前に過ぎないというノミナリズムである価値観の持ち主であることが確認できた。

☆21世紀型教育は、どちらかというと志という本質は実在するという考え方に立つから、ノミナリズムの価値観の人には、抽象的でわかりにくい。

☆よく21世紀型教育は定義がはっきりしないからわからないわからないと吐露する方がいるが、それは本質はあるが、万有引力などの力の関係や知のカテゴリーという認識の関係態のため、点としての定義ではなく、関数関係態としての定義なのだ。

☆点にこだわるノミナリストには永遠にわからないだろう。しかし、彼らがメタ認知としての関数関係を実感できなくても、彼らが納得する名づけは広報的にはできる。

☆実態はないが、名前はある。それでよいのだ。このような意識が典型的に表現されている言葉は「アクティブラーニング」。

☆とりあえず、この言葉は今では誰でも納得できる。もちろん、本質はあるという考え方を持っている側にとっては、それは永遠になんちゃってだ。

☆ノミナリストにとって、本質は実に危険だ。わからないものがそこにあるというのだから。

☆ノミナリストは、アクティブラーニングはとりあえず認めるが、結局はそれは個人で勉強する思考力を鍛えるという意味で重要なのであって、チームで議論し合うことはなんら本意ではないという。

☆「個人」という名づけが心地よいのだ。しかし、イン―ディビデュアルというのは、多様なペルソナが1つに内包されているという本質が「個人」にはある。他者と関係ない「個人」はないのだが、「個人」というただ名前だけが重要なのだ。

☆ノミナリストは、本質不要だから、言葉の体系がそのまま階層構造になる。「個人」の学びに対して、アクティブラーニングは手段に過ぎないサブシステムである。

☆ところが、本質を大切にする側は、「個人」の学びと「アクティブラーニング」は表裏一体システムである。

☆前者を唯名論、後者を実念論と言うが、この普遍論争は、中世以来、いやギリシア時代以降、未解決問題である。

☆いったいどうしたらよいのか?簡単である。統合理論をという無理をしないで、唯名論者には唯名論者が納得する表現を、実念論者には実念論者が納得する表現をとればよいだけである。

☆唯名論者は、名前という枠組みにこだわるから、越境できない。名前という要素をパッチワーク的につなぐことしかできない。

☆実念論者は、本質は常に名前をはみでているから、越境こそが本位である。

☆前者の教師がSDTであり、後者がSGTである。「世界を変える思考力」を生み出せる教師はSGTであることは、もうおわかりだろう。SDTは同じ言葉を話す人同士でしか対話ができないのであるから。彼らにとって、極端な話、名前という知識は、言語が違えばまた違う知識なのである。ご苦労さまである。

☆ともあれ、21世紀型教育に興味のある受験生の家庭の価値観は、ファンダメンタルが大事で、テクニカルなものは、その手段ではなく、表裏一体。むしろソフトパワーでもある。

☆だから、ICTをソフトパワーではなく、手段としてしか活用できない広報部隊の学校は、21世紀型教育を標榜しない。してもファンダメンタルな部分が空洞化しているから、なんちゃってである。

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