« 6月7日 東京私立男子中学校フェア開催!注目の聖学院×本郷! | トップページ | 21世紀型教育を求めて≪59≫ 湘南学園 飛躍の前夜 »

6月7日カトリック学校フェア いよいよ変わるかも

☆首都圏模試サイトの記事に≪6月7日(日)「カトリック学校フェア」が今年は聖心女子大学で開催! 親子でその雰囲気に触れてみよう。≫が載っている。聖心女子大が会場であるから、カトリック校の文化資本に触れることができるだろう。

Photo

☆しかし、カトリック校の文化資本は、何もマリア信仰を象徴する空間や彫像にあるわけではない。

☆マザーテレサに代表されるような「愛」である。マザーの言う「愛」こそカトリックの宝である。しかし、その「愛」は、信仰と祈りと対話にある。

☆それなのに、教育に関して、今までカトリック校は「対話」を授業の中で十分に発揮してこなかった。厳格に教師が一方通行的に知識を教え込んできた。

☆生徒はカトリック精神とは真逆の抑圧的規律で強制的に教師の話を聞く姿勢を強いられてきた。

☆それゆえ、大学進学実績で成功するカトリック校もあった。

☆しかし、そうでない場合は、多くのカトリック女子校の場合そうであるように、良妻賢母の美徳が培われてきた。

☆これらは、すべてカトリックの精神から派生してくるものではない。

☆聖光のように、生徒獲得のために大学進学実績が必要だと思えば、受験勉強と信仰は一致するなどと免罪符を出すところもある。

☆今年から聖光は21世紀型教育も取り入れて、トレンドはすばやく取り入れるさすがの戦略をとっている。

☆マザー・テレサは何度か日本を訪れているが、一度お会いしたとき、このような日本のカトリックの現状を見通され、お金はあっても心は不幸ねえ、このままだと。そうならないように祈りますと、あの小さな身体全体を祈りの手のひらの姿に変えた。

☆カトリックの過去を振り返れば、血塗られた現世的権力に引き込まれていった長い歴史がある。そしてそれがゆえに托鉢修道会が、普遍的原理に戻ろうと改革を行ってきた歴史もある。

☆聖書自体、実に興味深いのは、イエス・キリストの復活には、裏切り者のユダの存在は欠かせないという矛盾が存在することだ。

☆太宰治は「かけこみうったえ」の最終パラグラフでこう書いている。

私は今夜あの人と、ちゃんと肩を並べて立ってみせます。あの人を怖おそれることは無いんだ。卑下することは無いんだ。私はあの人と同じ年だ。同じ、すぐれた若いものだ。ああ、小鳥の声が、うるさい。耳についてうるさい。どうして、こんなに小鳥が騒ぎまわっているのだろう。ピイチクピイチク、何を騒いでいるのでしょう。おや、そのお金は? 私に下さるのですか、あの、私に、三十銀。なる程、はははは。いや、お断り申しましょう。殴られぬうちに、その金ひっこめたらいいでしょう。金が欲しくて訴え出たのでは無いんだ。ひっこめろ! いいえ、ごめんなさい、いただきましょう。そうだ、私は商人だったのだ。金銭ゆえに、私は優美なあの人から、いつも軽蔑されて来たのだっけ。いただきましょう。私は所詮、商人だ。いやしめられている金銭で、あの人に見事、復讐ふくしゅうしてやるのだ。これが私に、一ばんふさわしい復讐の手段だ。ざまあみろ! 銀三十で、あいつは売られる。私は、ちっとも泣いてやしない。私は、あの人を愛していない。はじめから、みじんも愛していなかった。はい、旦那さま。私は嘘ばかり申し上げました。私は、金が欲しさにあの人について歩いていたのです。おお、それにちがい無い。あの人が、ちっとも私に儲けさせてくれないと今夜見極めがついたから、そこは商人、素速く寝返りを打ったのだ。金。世の中は金だけだ。銀三十、なんと素晴らしい。いただきましょう。私は、けちな商人です。欲しくてならぬ。はい、有難う存じます。はい、はい。申しおくれました。私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。

☆小鳥のさえずりをユダはうるさい音ぐらいにしか聞こえなかった。小鳥の声こそカトリックの息吹、聖霊の声であるのに。しかし、だからこそ、イエス・キリストの復活は成就する。

☆聖霊の声が騒音にしか聞こえず、なりふり構わず、現世的利益に邁進する聖光。このあまりに人間的な姿勢に、太宰治は芥川龍之介の姿をみる。高邁な精神が俗に飲み込まれる瞬間というメタファ。

☆このとき、高邁な精神は一方でマザーテレサを再び生み出すのだ。その変革は、西から訪れる。

☆今、カトリック学校の中には、授業の中に対話を取り戻そうと変革を起こそうとしているところがある。21会事務局の私が呼ばれたのはそうした西方のいくつかのカトリック校である。

☆おそらく、カトリック校は富裕層が選択するというチャンネルができあがってしまっている。これに対し40代のイノベーティブな仕事に従事している家庭は、まずカトリック校を選択しない。本来キリスト教はフラットなはずが、そうではないから、そもそも価値観が違いすぎる。

☆フランスの学生と話すと、彼らもカトリックからどんどん離れ、むしろプロテスタントにシフトしているという。今でもカトリック王国であるフランスでさえそうである。

☆まして日本で聖光のようななりふり構わないカトリック学校が登場するのは当然と言えよう。

☆それは神の計画でもあるだろう。カトリック学校をいったんリセットして、ノアノ方舟としてのカトリック学校のサバイブの動きは加速しようというのだろう。

☆首都圏模試センターでは、その兆しのあるカトリック学校が東京にもあるのだと暗に晃華学園を紹介している。たしかに同校の空間は「対話」重視を象徴している。

☆今、アクティブラーニングがトレンドだが、この原型は中世パリ大学で生まれた。この対話のマニュアル本が、トマス・アキナスの「神学大全」である。人間の存在にかかわる問題についてトリガークエスチョンに細分化し、すべて、まずは、諸説をまとめ、次にその諸説を漏れなく論駁し、最終的に結論を示すという、イントローボディ―コンクル―ジョンというパラグラフライティングのモデルをつくった。あるいはディベートのモデルである。

☆価格はいかにして決まるかというトリガークエスチョンを、実定法ではどうなのか、自然法ではどうなのか、旧約聖書ではどうなのか、新約聖書ではどうなのか、黄金律ではどうなのかと論理を組み立てていく。

☆よく神学論争とは、役に立たないことを指すが、トマス・アキナスの思考は、当時の都市生活の政治経済・法律の根拠にリアルに大きな影響を与えてきた。

☆なぜなら当時の修道院は都市そのものを構築する中心的な役割を果たしてきたからだ。もちろんそうでない修道院もあるが、トマス・アキナスの托鉢修道会は、13世紀からすでに女子修道会を守る絶大な思想と活動力を持っていたほど先進的だった。

☆そして、フランスの学生は言う。たしかに今の若者はすでにカトリックをかえりみなくなっている。しかし、トマス・アキナスの思想は無意識のうちに流れているねと。

☆シュンペーターは、トマス・アキナスの思想にすでに資本主義経済の萌芽を見て取っているぐらいだ。

☆マックス・ウェーバーもプロテスタンティズムが経済原理に流れ込むが、それはもともとはトマス・アキナスの所属していたような修道会のシステムを拡張したものに過ぎないとも。

☆カトリック学校の変革は、未来にむかって再び普遍的原理を再現することがミッションだろう。なりふり構わない聖光の動きも、どういうわけかその方向に飲み込まれていくのである。ユダがイエス・キリストの復活の成就の物語りに埋め込まれたように。これが聖光の工藤校長の密かな野心であろう。所詮は神のみぞ知る。すべては神の計画なのだからと。

|

« 6月7日 東京私立男子中学校フェア開催!注目の聖学院×本郷! | トップページ | 21世紀型教育を求めて≪59≫ 湘南学園 飛躍の前夜 »

中学入試」カテゴリの記事