2016中学入試動向ウオッチ【020】 森村イズム
☆田園都市線「つくし野駅」から徒歩8分くらい。日本庭園を想起するようなすてきな空間に森村学園はある。つくし野という郊外型の高級住宅街では、桜並木も美しく、オペラ歌手などの野外演奏などもあって、文化と教養の香りがするマチである。
☆創立者森村市左衛門は、実業家であり、社会事業家でもあり、渋沢栄一級の私学人である。その森村イズムがそのまま学校に浸透している。
☆私の4月の首都模試の父母会の会場は、森村学園だったので、改めてその雰囲気を感じ取った。
☆今年2月、創立者のひ孫である森村登代子前学園長は他界した。生前幾度かお会いする機会があったが、18年前にお会いしたときに、娘がロサンゼルスでホームステイしているという話になったとき、中学で一人でアメリカというのは、親として少しおかしいのではないかと指摘された。
☆少しあなたは軽いのではないか、お嬢さんを危険にさらすようなことを平気でするとは、親としてもっと情報を集めなさいと。ガーディアンなどがいるかもしれないけれど、所詮は人任せで、何かあったら、親として子どもをすぐに守ることができないじゃない。その状況をつくることが甘いのだと叱責された。
☆それから、自分でも欧米を回り、森村先生の感覚こそが、グローバルスタンダードであることを実感。娘が仕事で海外に渡航するのを見送るたびに、森村先生のあのときの言葉を思い出す。
☆それよりも少し前だったか、時日は忘れてしまったが、瀬田あたりにあった森村家が経営していたフランス料理店を閉じるときに、もう最後だからと、森村先生の仲間が招待された。妻が森村先生にお世話になっていたから、我がファミリーも呼ばれた。
☆立食形式だったということもあり、私は必死に食べるのに忙しかった。そのとき森村先生は、あなたね、コミュニケーションそっちのけで食べていては困るのよと指摘された。そのときに、森村先生はどうやって英語や欧米の社交マナーを学んだのかと聞いてみた。
☆すると、森村家では、英語が使われていたし、日常生活自体が社交会みたいなものだったわよ。偉い方々も毎日のようにいらしていたからと。
☆ああ、これが森村学園の教育そのものなのだなと妙に納得したのを思い出す。そのフランス料理店の跡地は、高層マンションンになっているが、その近所に大平首相の邸宅があった。その国分寺崖線から多摩川を望みながら、首相は田園都市計画という国土計画のパラダイム転換を図ったのであるが、それに大きな影響を与えたのは森村イズムである。
☆何せ、大平首相の隣に森村先生の邸宅があったのだから。また、江戸時代から、この国分寺崖線は、大名の別邸があり、大名庭園が並んでいた。その名残はこれも森村家の近くにある五島美術館で味わうことができる。
☆そのあともお会いしたとき、ラフカディオハーンに興味があると言ったら、森村の生徒をアイルランドに連れて行った武勇伝を話して下さった。学園長が自ら同行するその迫力に敬意を表せざるを得なかった。
☆その後私も影響を受けて、欧米の学校を視察に行ったり、高1の女子校の生徒を7年以上もフランスに連れて行き、アクティブラーニングをやってきたりしているが、ついに英語力もフランス語力も身につかなかった。お会いしたら、あなたは努力が足りないし、環境の作り方が下手なのよと叱責されるだろう。
☆もっとも森村先生は、晩年非常に優しい眼差しでわがファミリーを見守ってくださった。生前から、ご自身の葬式の時のパイプオルガンは、妻に頼むと語っていたらしく、彼女は知らせを聞いて飛んで行った。
☆私は、自分の部屋で祈ることにした。教育研究所を立ち上げる時、私が影響を受けた私学人の1人森村先生は、今も折に触れ叱責してくださる。とても他界したとは思えない。
☆私が私学人や私学の系譜にこだわるのは、明治近代日本の形成のために活躍した私学人のひ孫の私学人に直接お会いし教えを請う機会に遭遇したからだと思う。
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