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21世紀型教育が創造的アクティブラーニングを実践するわけ 抑圧的アクティブラーニングに注意されたし!

☆20世紀型教育は、最終的には大量生産、大量消費、大量移動をサポートする知識を定着させるところまで行きついた。これらをクリティカルチェックし、新たなパラダイムを創造する教育はしてこなかった。

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☆そのため、あの20世紀の影の象徴である第二次世界大戦の状況は、微分化して、あらゆる領域に拡散している。

☆21世紀型教育の本位は、この問題を解決できる思考を育成する教育である。与えられた知識を記憶し、適用していく教育における人間性や人間関係は、抑圧―従順のコミュニケーションがベースになる。

☆この抑圧的コミュニケーションが、デジタルシチズンにとって耐えがたいものであることは、説明するまでもない。

☆デジタルネイティブは、創造的コミュニケーションがメインになるからだ。

☆したがって、抑圧的コミュニケーションを形成してきた20世紀型教育における一方通行型あるいは問答誘導型授業は、反省が迫れれている。

☆相互通行型で創造的なコミュニケーションを形成する授業が希求されたのだ。

☆それがアクティブラーニングなのである。

☆20世紀前半、近代化の闇は世界大戦という方法で爆発した。20世紀後半、その闇はテロやネット犯罪として拡散した。

☆抑圧的コミュニケーションはイノベーションに合わせて、近代化の闇を拡散させていったのである。

☆しかし、メディアや世間は、たとえば、ラインやSNSを悪の元凶として糾弾するミスリードを繰り返してきた。

☆そうではなく、抑圧的コミュニケーションの根絶こそ問題解決の本位であるのである。しかし、これが実に難しい。抑圧的コミュニケーションは、20世紀型教育の授業そのものだったからである。

☆これによって、自己否定感の強い高校生がたくさん輩出されている。自己否定感は、鬱屈したエネルギーがたまる方向に心理状況はなるから、それが爆発した時、暴力、逃避、無視、責任転嫁などの転移が起こる。

☆それが自分に向かえば、引きこもりや自傷行為にない、友人間でおこれば、いじめなどになる。企業や社会に向かえば犯罪になり、国家に向かえばテロになる。抑圧的コミュニケーションが国家間で行われれば戦争になる。

☆その温床が無自覚な抑圧的コミュニケーションによる20世紀型教育の授業なのである。もちろん、上記のように簡単には負のエネルギーが爆発しないように、面談やカウンセリングが行われてきた。

☆教育心理学が大いに流行り、その20世紀型授業の抑圧的コミュニケーションの社会的システム加担を見破る教育社会学が人気がなかったのは不幸だった。そんな中で人気のある教育社会学者といえは、抑圧的コミュニケーションの結果できあがった階層社会を原因として糾弾する主客転倒した間違った方法論を振り回した。

☆そこで、21世紀型教育を推進する私立学校はその闇の流れを絶つべく、立ちあがったというのが本当のところであるが、現在のマーケットは正義の場ではなく、人気の場である。その正義の精神は、志として胸に秘めながら、創造的コミュニケーションの新市場を創出し、その闇から解放される楽しく明るく考えるアクティブラーニングを生み出したのである。

☆保護者も自分たちが育った20世紀型教育における抑圧的コミュニケーションには辟易していて、あるいは21世紀型教育推進校に出会ってハタと気づいて、子どもが楽しく明るくそれでいて深く思考し、協調しあいながら目の前の壁(最大の壁は抑圧的コミュニケーション)を乗り越えていくタフな人間力は、アクティブラーニングの創造的コミュニケーションによって育つのである。

☆今21会の先生方とブルーム型タキソノミーで6レベルまで学び、TA(交流分析)でいうNP・A・FCをベースにした創造的コミュニケーションを行っていくアクティブラーニングを開発している。もちろん、タキソノミーやTAの考え方自体は内省し、脱構築の必要性も感じているが、現状で最適なモノサシとしてはこれらは実に有効であるというのは、体験上知っているのである。

☆アクティブラーニングは昨今大いに話題になっているが、タキソノミーで4レベルまでしか学ばなければ、抑圧的コミュニケーションでアクティブラーニングを実行できてしまう。

☆21会がなんちゃってアクティブラーニングを警戒しているのは、抑圧的コミュニケーションがイノベーションを悪用することだ。

☆闇はつねに背後から忍び寄る。自らが光放てば、忍び寄られることはない。20世紀型教育は抑圧的アクティブラーニングで忍び寄ってくる。21世紀型教育はそれを創造的アクティブラーニングの光で払拭する。

☆子どもたちの未来を光の中に導くも、闇の中に覆い隠すも、学校選択という意志決定次第である。

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