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21世紀型教育における帰国生・留学生の意味(2)

☆帰国生入試の小論と一般入試の小論の書き方は技術的には違いはない。それゆえ、帰国生はその差異を意識することは重要。そこで、前回ご紹介したようなアクティブラーニングや、言語のイコール操作、コペ転対話を行うのである。

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☆すると、上記のような座標系になった。小論の書き方というと、「技術」の話ばかりになるが、それはサイエンス的な根拠のある技術でなければならない。

☆イントロ―ボディ―コンクルージョンとかパラグラフライティングの技術はさすがに帰国生はよくわかっている。しかし、それはたんなるテクニックではない。世界を開くサイエンス的な根拠のあるものである。つまり、論と内容に「科学的一貫性」がないとという話になる。

☆これは一般生と帰国生の大きな違いだけれど、これだけでは、合格答案の差別化ができない。

☆そこで、感性の部分というか気持ちの部分も必要だ。一般生の体験は、残念がら説得力の条件として技術的に用いられることが多い。

☆帰国生の場合は、独自の体験である場合が多く、それは共感を呼ぶものである場合が多い。面接のときにも、結局がそこが突破口になる場合も多い。一般生の小論文は面接がないから、そこまで体験に魂を込める必然性がない。

☆それはともかく、その体験の共感が、世界の人々にまで広がるようなインパクトがあるとアドバンテージは高くなる。そんな話をしていると、「世界を引き受ける自分」という志をアピールするということですかという質問がでてくる。

☆あざとくアピールする必要はまったくない。それほどみんなの1人ひとりの体験を語るストーリーには世界を引き受けていることが自然と伝わるものだからと、自分の体験をていねいに追跡してごらんと。

☆すると、ポジティブな体験ばかりではないのではと。生活していた国によるのではと。そこで、1人ひとり体験物語を語り始めた。体験自体はハッピーな国のものもあるし、その逆のものもある。しかし、いずれも日本では経験できないものだし、重要なことはそのときあなたは何を感じたのかだよと。

☆そこから、今後の自分がどうするかビジョンを語り始める帰国生もいる。それで十分だよと。

☆世界の痛みも世界の喜びも、彼らは頭の中で知っているのではない。実際にそこでいっしょに呼吸し、皮膚で感じとってきている。

☆そこからしか世界を引き受ける自分は生まれてこない。

☆日本の生徒が、多くの経験、特に海外での経験をした方が良いのは、そういう世界を引き受ける自分を感じてほしいからだ。

☆日本にいたってできる!と憤らずに、素直に考えてみよう。相対的に多民族の国ではないし、一歩歩けば異国であるという地理的条件でもない。まして、一歩踏み込んだんだけで、銃弾が飛んでくることもない。

☆素直にその環境を認め、そうでない環境を進んで創る努力をしなければ、グローバリゼーションがますます進む未来にあって、子どもたちがサバイブすることは難しいと考えるのがなぜそんなにおかしいのか。

☆私たち団塊・断層世代は、守られてきたのですから、ある意味幸せだったし、ある意味ユデガエル状態だったわけである。そのような条件がなくなる未来に備えるのが21世紀型教育のミッションである。

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