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聖学院が御三家を超える時が来た(2)

☆前回ご紹介した聖学院の学校説明会告知のチラシが実にイコロジカルだ。実によくリベラルアーツの本質を広報している。さすがは清水副校長。たんなるチラシであるがされどチラシである。表面の写真を分解してみよう。

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(左は朝の礼拝に臨む生徒。右は授業に臨む生徒。)

☆まずは、この左右の写真である。チラシ用にポーズをとった写真ではない。何度も取材に行っているから、これが自然体の姿であるとピンとくる。

☆保護者の方は、この写真を見て、ぐっと惹きつけられるだろう。左の礼拝の空間では、生徒は世界の痛みと自分との対話をして、いかに生きるかインナーボイスを研ぎ澄ましている。

☆右の授業の空間では、教師の言葉に耳を澄まし、電子黒板が教室空間の限界を超えてマクロなあるいはミクロな宇宙を映し出しているのをじっと観察している。世界観をオーガナイズしている。アクティブレインが発動している。

☆ある意味、礼拝や講義型の授業は、インナーボイスとアクティブブレインという静かなるパッションを燃やしている時空が広がっている。リベラルアーツ教育は、まずはこの静かに没頭し、ある種メディテーションしている態勢が必要なのである。

☆保護者は、自分の息子が静かに真剣に思いを馳せて内面の旅にでている姿をみて、成長したなあと感動するものだ。

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☆そして、もちろんアクティブラーニング。しかもこの写真はオールイングリッシュのディスカッション中心の授業シーンである。リベラルアーツは、対話がベースだし、英語に限らず「言語」=「ロゴス」の学びは必須である。

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☆決定的なのは、生徒は、毎朝、正門から坂を登っていったところで、志を目にするのである。この塔のかなたに広がるのは宇宙である。エゴから解放され、自分よりはるかに大きなものを目標に持つこと。これこそが創造的自信に満ち溢れる高いモチベーションを抱く条件である。言うまでもなく“Only One for Others”というエゴから解放され共創的エコ社会への想いであり、リベラルアーツ教育の真骨頂である。

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