« この夏、かえつ有明のリベラルアーツ型アクティブラーニング体験できます! | トップページ | 三田国際 突出するわけ »

≪私学の系譜≫中村紘子の大賀ホールコンサート

☆70回目の終戦の日、大賀ホール10周年の事業の一環で中村紘子がコンサートを開いた。9日のコンサートは術後の関係だろうか、体調不良のため中止していたが、15日は堂々たる演奏を披露。もっとも2時間15分のうち最初の1時間はトークだったから、隣の青年は高いびきだった。

Dsc09843

☆なるほど、母校慶応中等部に招かれて演奏をしたときに、おしゃべりがなりやまぬ生徒を叱責、その後まだおしゃべりがなりやまぬ保護者をまたまた叱責。中等部部長が、よくぞ言ってくれましたと感謝したというエピソードはわからないでもない。

☆しかし、これは今の若い者はマナーがなっていないということを示すものではない。彼らにとって中村紘子の話の内容は≪私学の系譜≫そのものなのだ。だから、理解不能になっているということ。話はいいから、演奏を聴かしてくれというのもまあ気持ちはわかる。

☆当日のプログラムは、チャイコフスキー、ラフマニノフ、ムソルグスキー。ロマンチック過ぎるぐらい甘ったるく、一方で積分的圧倒的低音を響かせるその演奏は、しかしながら、彼女のトークそのものだった。

☆終戦前夜に生まれた中村紘子が私学人として戦後を生き抜いた人生そのものが音になっていた。中村紘子は、戦後の音楽界の津田梅子さながら、全額奨学金でジュリアードで学ぶ。

☆ショパンコンクールをはじめ海外で活躍するグローバルアーティストである。だがしかし、昨年アリストテレスの「問題集」が新版復刻されたように、その人生は華麗な側面だけではない。人生を取り巻く森羅万象の問題に直面しては乗り越えてきた。

☆中村紘子、小澤征爾といえば、グローバルアーティストで、世界で活躍する私学人である。しかし、それは戦後70年の私学人の姿である。

☆彼らは、内村鑑三、新渡戸稲造のマインドを継承した戦後をつくる私学人の期待を一身に担った戦後私学人だと思う。中村紘子をソニーでデビューさせた大賀典雄は、その仲介者だった。

☆ソニーは、最初井深と盛田が創設し、大賀を巻き込んでいくが、実は井深の義父前田多門も出資していた。

☆この前田多門こそ新渡戸稲造の弟子で、戦後日本を私学人たちと奔走した人物だ。長女は神谷美恵子で、もちろん新渡戸稲造の影響を色濃く受けて、父の活動を支援した。前田多門と神谷美恵子の当時のネットワークをたどると、いかに私学人がGHQと文部省と皇室と2人のしげる(吉田茂と南原繁)との間で最適な日本社会の在り方を考えたかがわかる。

☆中村紘子のトークはその一端を表していたし、ホロヴィッツの偏微分的な展覧会の絵とはちがって、彼女の積分的展覧会の絵は、善も悪もその彼岸にあらゆるものを包み込みながら進んだ戦後私学人の生き方そのものを表現していた。

☆桐朋の子どものための音楽教室の第一期生として中村紘子と小澤征爾はいるのだが、もともとこの音楽教室は東京家政学院が開設していて、それが移行していった。ここらへんの事情はわからない。たんに経営上の事情というだけではなく、もっと複雑な何かがあるのだろうが、調べる時間がないのが残念だ。

☆ただ、中村紘子のトークと演奏を通して直感的に感じるしかない。

☆さて、現在私の周りの21世紀私学人は、前田多門の時と同じように、文科省や政治家m財界人と交渉を続けている。彼らは、中村紘子や小澤征爾のようにグローバルな体験をする生徒を、今やあふれるほど輩出している。

☆このような生徒が、近未来で神谷美恵子や中村紘子、小澤征爾のように活躍するのは、大川翔くんや錦織圭選手のような人材が示すように、明らかである。

☆そして彼らの活躍拠点が、もはやドメスティックな範囲を越境しているように、私学の在り方もそうなるのだろう。2020年大学入試改革というのは、ドメスティックな話だが、その背景には学校の在り方それ自体が変容しているのだということを見通す必要がある。

Mailgoo
☆70回目の終戦の日の夜、五芒星型ピラミッドサウンドという空間に、ルーブル美術館のピラミッドのダヴィンチコードさながら、≪私学の系譜≫コードを感じることができたかもしれない。

|

« この夏、かえつ有明のリベラルアーツ型アクティブラーニング体験できます! | トップページ | 三田国際 突出するわけ »

私学の系譜」カテゴリの記事