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聖学院 クリエイティブ市民の学校【01】

☆グローバル人材やクリエイティブ人材が育つ学校は山ほどあります。しかし、グローバル市民やクリエイティブ市民が育つ学校はなかなかありません。そもそも国家―国民という枠組みでは育たないですね。市民社会―市民→国家―国民という枠組みがなければ難しいのです。

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(聖学院のSGT児浦先生の総合学習が紹介されているそうです。児浦先生のfacebookから)

☆何を言っているのかわからないと言われるかもしれません。それはそうだと思います。市民という概念や実存は、ピューリタン革命から連綿と歴史的に続いている宗教改革、市民革命がおこった欧米の話ですから、市民革命を通過しないで帝国主義的近代国家にすぐ変質した明治維新以降の日本では、「市民」という言葉は、税金を納めている自治体に属している日本人の呼び名にすぎません。

☆ところが、聖学院は、そのルーツが米国のプロテスタンティズムですから世界に通じる人材と言ったとき、世界に通じる「市民」という感覚が当たり前の学校文化になっています。

☆ですから、児浦先生がクリエイティブシティであるポートランドの勉強会ワークショップに参加してくると、ビビッとくるものがあるのです。

☆ご自身が北区と協働して行っている総合学習とポートランド、ご自身の旺盛な好奇心から学んでいる伊賀の里、阿波踊り、再び通いだした美大での学びが、数学教師としての資質と1つに結びついたのでしょう。

☆聖学院の沖縄平和学習や糸魚川農村体験学習が、他校と一味違うのは、このクリエイティブシチズンという感性を生徒が持っているかどうかです。

☆文科省も東京都も、2020年東京オリパラを契機になんとかクリエイティブシティをシステム化しようと、ユニバーサルデザインのコンセプトなどを打ち出したりして努力していますね。

☆ただ、「シティズンシップ」教育が土台になければ、それは技術的な話で終わってしまいます。しかし、基本「市民」は自然法論をどのように現代化するかという問題があります。つまり、日本の国が捨てたJ.J.ルソーの思想ですね。

☆そんなことはない、品川区などはシティズンシップ教育をやっているではないかと言われるかもしれません。しかし、これは自然法論を切り末った法実証主義的枠組みの国民としての道徳教育です。

☆日本国憲法が、市民を認めていないわけではありません。むしろ認めていますが、市民社会がないので根付いていないのです。現状は法実証主義的道徳が優先しています。自民党の憲法改正案では、現実に合わせて啓蒙主義的妄想は捨てようとまで考えられています。

☆2006年の戦後教育基本法改正をめぐって、オール聖学院会議を開催して、聖学院は市民社会の法の精神を継承することを確認しました。その伝統が今もこうして具体的教育活動に流れているのです。

☆そして、時代の精神は、国家の機能と市民社会の機能を明確にし、その協働関係を模索しながら実践活動が生まれています。それがNGOやNPO、ソーシャルな動きです。しかし、日本においては、市民社会の前提がないので、結局コーディネートではなく、政府や官僚の想いを強化する働きとして活用されてしまいがちです。ここはフーコの権力論が生きているところですね。

☆そこまで考えて聖学院をとらえる受験業界の方々は少ないでしょうが、確実なことは、グローバル人材では、世界で通じない時代がそこまでやってきてます。グローバル市民という概念も、そもそも市民という発想はグローバルですからわざわざ言う必要はないのです。

☆結局、個人の力がどこまでクリエイティブなのかが重要で、条件として学校は、個人のタレント(才能)を豊かにし、テクノロジー(技術)をトレーニングし、トレランス(寛容性)を育むことが可能であることです。

☆そんなことはどこの学校でもできると言われるかもしれません。本当ですか?できるのなら大歓迎です。でも国家と市民社会の緊張関係を前提にしていない限り、そのタレントを豊かにしようという試みは、規則で結構束縛されていてとことんできないのではありませんか?

☆テクノロジーも教科書に拘束されるので、プログラミング(本物のですよ)の授業もとことん展開できないのではないですか?抑圧的コミュニケーションが横行する社会で、寛容性は育つものでしょうか?

☆2020年大学入試改革は、ここらへんの鉄鎖を壊そうとしています。頑張ってほしいのですが、とことんいくには、国家と市民社会の緊張関係をどう作り出すかですね。

☆アリストテレスの人間は社会的(政治的)動物であるという発想は、市民社会の発想そのものですが、18歳選挙権の問題で、政治的に中立でなければならない学校で果たして多様性のグローバルな市民社会を受け入れることはできるのでしょうか?

☆聖学院の司書教諭大川先生の活動も、実に自由闊達で市民が共有する知の拠点づくりをしています。クリエイティブシティズンが生まれる土壌と言っても過言ではないでしょう。

☆偏差値に関係なく、聖学院を選択する受験生/保護者がたくさんいるのは、このクリティティブシティズンが人間存在の根源だと共鳴するからでしょう。

☆聖学院のような学校は、日本では少数派ですが、世界ではいっぱいある名門校の条件をそろえています。

☆そのことに気づくか気づかないかは、もちろん、私事の自己決定です。それが私立学校です。

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