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海城という方法論≪1≫ 時代の要請としての改革

☆ついに私立学校を「改革の方法論」という切り口でリサーチする情報誌が出現しました。たいていの私立学校の情報誌は、学校の歴史やどんな教育をやっているのか、知識と理解レベルのまとめ方をするのが定番でした。

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☆しかし、ダイヤモンド社から「おおたとしまさ」さんが出版した「海城中学高等学校」は、歴史学的、精神文化史的文脈との遭遇の中で、海城という学校が考えた教育の発想革新の方法論という切り口でリサーチされまとめあげられています。

☆もちろん、受験生の保護者が対象でもあるので、深堀しつつも表現する深さはほどよいところでとめていますが、そこから先は読み手の興味と関心で解釈していけばよいようになっています。

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☆同書は、1992年に海城中学に入学して、中高で生徒会会長の経験もして、現在広島大学の准教授として活躍しているOBインタビューから始まります。

☆実はこの1992年入学のOBというのが、海城の大学受験指導教育からリベラルアーツ教育、そしてグローバル教育というパラダイムシフトする起原そのものを意味するメタファーだったのです。

☆宮台真司さんの著書「社会という荒野を生きる。」は、「冷戦体制終焉から25年。あらゆる分野で『感情』という主題が浮上してきた。認知考古学・進化生物学・比較認知科学・道徳心理学。政治哲学(コミュニタリアニズム)・プラグマティズム等々。全体として概念言語の健全な使用を支える言語以前的なものへの着目がある。背景の一つが、<感情の劣化>だ。急速な都市化とマスコミの急拡大を背後に控えた戦間期の大衆社会論は、分断され孤立化した人間が<感情の劣化>ゆえに全体主義の動員に釣られやすい事実を問題化した。問題視されたのは不安と鬱屈を背景にした排外性や攻撃性だった。」

☆そして、この<感情の劣化>への道は、戦後はなんとか抑止できたが、冷戦終焉後再び<感情の劣化>の問題設定を再浮上させたというのが宮台真司さんの問題の端緒です。

☆この冷戦終焉によって再び社会の前面に出てしまった<感情の劣化>を回避しようという問題意識が、海城の1992年という改革起原の問題設定とシンクロしています。生徒が集まらないから、「教育改革」という商品をマーケティングやブランディングで売ろうという発想とはまったく違うのです。

☆戦後というのは、私立学校の啓蒙思想的世界観が前面に出る時代でもあります。戦後教育基本法の成立はその象徴だったわけです。しかし、そのとき、海軍予備校として開設されていた海城学園は、前面に出ることができるわけもなく、リベラリスムの種を育てながらも、価値中立の立場に立たざるを得ませんでした。

☆価値中立の中で存在を際立たせる方法は、おそらく戦後最大のイデオロギー闘争に背を向け、結果的に日本の国がそのイデオロギー闘争を無化するために、東大学歴社会の階層構造を学生に覆いかぶせた大量消費大衆社会に誘導した路線に乗らざるをえなったのでしょう。

☆ですから、戦後は、<感情の劣化>を回避する私立学校的な理念と<感情の劣化>の温床の二重構造が支配していたのだと思います。もちろん、これは連合国、とりわけ米国の戦後日本に対する今も変わらぬ戦略ですが、冷戦終焉後、この構造が弛緩するわけです。

☆教育基本法の改革の動きは活発になり、学歴階層構造の爆走を止めることはできなくなっていきます。<感情の劣化>は噴出すのです。

☆1992年、もはや海軍予備校のイメージは薄くなり、本来の海城の教育のルネサンスが起こったのだと思います。

☆海城自体に<感情の劣化>が噴出し、それを抑止するのみならず、感性と知性を統合できる私立学校の啓蒙思想的理想を、時代の要請に耳を傾け断行するときが、冷戦終焉、ベルリンの壁崩壊の歴史的文脈によって背中を押されたのでしょう。

☆宮台真司さんの着想は、ジャン・ジャック・ルソーの言語起原論に根っこがあります。これについては東浩紀さんも同様の考えです。ただし、ルソーの夢を伝えてきた、カント、ヘーゲル、ヴィゴツキー、デユーイ、ピアジェ、シーモア・パパート、ローティ、ベイトソン、ハーバーマスなどなどを経て東浩紀さんはその夢の理論を情報社会にあって、実装できるようになったという感覚をもっています。

☆ルソーは言語起原論で、ラングという理性的言語よりパロールという感情言語を優先させます。前者はシステム内言語ですが、後者は言語以前の感情を動員する音声言語であり演戯言語です。

☆海城のPAやDE、PBL型アクティブラーニングという実装は、まさに歴史的文脈の現実態ですね。可能態を現実態にするラング×パロールという教育改革「方法論」は、大衆心理を操作し大量消費意欲をかきたてるマーケティングの「方法」とは似て非なるものです。

☆開成などがこの「方法」に怯え、殻に閉じこもっている間に、市場が勝手に「御三家」というブランディングをして、大衆の受験消費行動を煽りました。利益は市場に還元されましたが、御三家には<感情の劣化>の雰囲気が蔓延しつつあります。

☆海城の「方法論」がそれを払しょくし、再び私学の系譜に彼らをマインドセットすることになるでしょう。これが「御三家のおわり」という本当の意味です。

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