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21世紀型教育の時代【39】 問いの時代 大阪大学のライティングがおもしろい

☆2016年大阪大学の英語の入試問題で、次のようなライティング問題が出題されました。「知識は力なり」というフランシス・ベーコンが使っていた言葉についての考察です。

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☆入試問題自体は、知識にはどんな効用があって、それが証明できる具体例を書くという、トピックセンテンス+ディテールセンテンスの2文構造で書けばよいわけですから、難しくはないのですが、この問いの背景が実におもしろいですね。

☆スペインの無敵艦隊を撃退したエリザベス女王時代のイングランド。世界の覇権が一気にスペインからオランダ、イギリスへとシフトした時代。その影響を受けて、日本も鎖国も解かれていく時代。そんな時代に、やがては大法官になるフランシス・ベーコンが使ったフレーズが「知識は力なり」。

☆ずいぶん、今とは「知識」観が違う。いや、もしかしたら、今私たちが「知識」に対して負い目を持っているとしたら、そんな「知識」観は誤っているのかもしれない。

☆モヤっとしてきたので、とりあえずWikipediaにお世話になってみました。すると、英語だと<knowledge is power.>なるが、ベーコンは、ラテン語で<scientia potentia est>と表現したとのことです。

☆おおー!となんか新鮮な感じです。このラテン語、今流で言えば、科学は潜在的力であると読めないだろうか?

☆そう思ったら、「知識」は、やはり今は干物だが、蘇生させると「思考」になるのではないかと想像というか妄想がうごめくわけです。

☆そんな感じで、Wikipediaを読み進むと、あの映画「宇宙戦争」の原作を書いたジョージ・オーウェルが、彼のディストピア小説『1984年』で、作中の政府に「無知は力である」 (Ignorance is strength)と言わしめているとあったのです。これは、「知識は力である」のパロディであるということですが、このパロディを再び科学の領域に持ち込んだ人はアインシュタインではないかとまたまた妄想。

☆アインシュタインは、SATのライティングや他のテストでも出題される<Imagination is more important than knowledge>という言葉を語っています。

☆がしかし、ベーコンのフレーズと重ねると、知識よりも力があるのだから、想像力は潜在的力であるとも読めます。するとルネサンス期から近代への科学の歩みは知識の意味が大きく転回してしまったということなのでしょうか。

☆21世紀型教育において、このことは、きちんと検討しなければならないということでしょう。知識の意味は、ルネサンス期と20世紀近代社会においてとでは大きくその意味が変わったとしたら、21世紀は、さらに新たな社会の展開をしているのですから、知識に対する考え方も変わってきたとみる方が自然でしょうね。

☆おそらく、ベーコンの時代は、イギリスでは、知識と思考はまだ未分化だったのかもしれません。あっ、いや、ベーコンより少し若い同時代人デカルトは、「われ思う。ゆえにわれあり」と言いましたが、これはどうでしょう。同時代のフランスでは、知識と思考ははっきり区別されていたとかあるのでしょうか。

☆でもポテンシャルとは、どちらかというと人間存在に深く関わりが有るような気がします。ここらへんどうなっているのでしょうね。教育学ではきっとこれを分析する学問はないかもしれません。

☆デカルトは、フランス語で<Je pense, donc je suis、>と語り、のちに神学者がラテン語で<Cogito ergo sum>と翻訳したと言われています。

☆フランス語の「パンセ」とラテン語の「コギト」は、果たして同じなのでしょうか?「パンセ」と言えば、ブレーズ・パスカルですが、ベーコンやデカルトとは一世代違います。だいぶ、思考と知識は区別されてきたのではなないかと思います。

☆コギトは、どうもcognizeに近いのでは?とするとやはりデカルトにとってもパンセはまだ「考える」というより、「知る」だったのではないだろうか?

☆知ると知識と考えるは渾然一体だったのではないか?そんな妄想がわいてくるのです。

☆まさに無知は力なりって感じのところまできたわけですが、ここまでくると、アレッ?「無知は力である」は、パロディでなくて、古代ギリシア時代に回帰して「無知の知」なんてソクラテスは言っていたような。

☆いずれにしても、教育の世界は大変です。こんな基本的な「知識」や「思考」の意味が、明快に定義されないまま、紀元前から行われてきたわけですから。

☆そんなわけですから、大事なことは、コミュニティ内で何が求められているのか耳をよくよく傾け、そこから生まれいずれ要求に応える教育を、そのコミュニティ内で協働編集していくということが大切なのでしょう。

☆北欧のように、人口の少ない国の教育省と日本のようにまだまだ人口の多い国の文科省とは、教育の作り方がやはり違います。前者はコミュニティサイズですから、教育省は耳を傾けるでしょう。後者はビッグサイズですから、耳を傾ける余裕がありません。ダイレクトに上から学習指導要領を下していくしかできません。

☆こんなとき、私立学校というスモールサイズのコミュニティの役割は非常に大きいというパラドクスが生まれます。小さいけれどポテンシャルは大きいという。

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