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私塾市場の変化[03]セミナリオ修学館 学びのトピカ

☆祖師ヶ谷大蔵駅から6分ほど閑静な住宅街を歩いていったところにその私塾はあります。大きな看板も出していないので、すぐに探しあてることはできないかもしれません。祖師ヶ谷大蔵駅の周辺はすぐに住宅街が迫ってきている感じですが、それでもいわゆる有名塾の面々が大きな立て看板を掲げています。

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☆スマートフォンのナビゲーションをたよりに歩いていくと、マンションの1階の幾室かのドアに表札さながら表示が掲げられているだけです。ふと若いころ、イギリスやフランスの学校リサーチに行ったとき、看板のないところもあり、道々出遭った住民に聴きながら探したときのシーンを思い浮かべました。

☆そんな懐かしい記憶を私によみがえらせてくれた私塾。それはセミナリオ修学館です。扉をたたくと、柔らかい穏やかな表情の塾長宮澤先生と共同経営者の西方先生が対話の機会をつくってくれました。

☆お2人とも大学時代からいっしょに、この私塾を運営してきた盟友だそうです。もう30年以上も経ちます。その間、お2人は、大学院で研究も続けていました。宮澤先生はフランス文学、西方先生は法学を研究していたということです。

☆最近いろいろな意味で注目されている渋谷教育学園幕張も開校してから30年強ですから、入試制度の激変を私学と共にしながら生き抜いてきた私塾です。しかし、その持続可能なあり方は、いわゆるエリート教育重視の昨今、塾歴社会を構築していると話題の私塾とはまったく違う次元に位置しています。

☆そのセミナリオ修学館の独自の立ち位置を、私は「学びのトピカ」と呼びたいと思います。「トピカ」とはアリストテレスの一連の論証術の著作の中の1つで、対話を生み出す空間のことを指しています。

☆宮澤先生によると、「エリート教育を目的にした進学相談は特にしていません。生徒1人ひとりのかけがえのない存在を、私たちがではなく、生徒自身が自ら大切にできるようにする基本的な生活の仕方や学び方を相談しながら引き出しています」ということです。

☆西方先生も「当たり前のこと、すなわち宿題を忘れずにやってくる、遅刻をしない、授業を休まない、授業に耳を傾け、自ら考え、判断していくという人間としての基本的な生活や勉強の習慣を身につてもらうことですね」と語ります。

☆「基本的」「当たり前」とは、しかしながら、実際にはなかなかできないことを意味するのが常です。お話を聴いていて、先生方の対話のベースにある「基本的」で「当たり前」という感覚には、教養が背景にあると感じました。

☆私に接するときだけではなく、生徒と対話するときも同じでしょうから、生徒の皆さんが、「基本的」で「当たり前」の生き方や勉強の仕方を身につける時にも、教養が付加されるのだと思います。

☆つまり、発想やポテンシャルが生み出される対話ができる「基本的」で「当たり前」の生き方勉強の仕方が身につくのでしょう。

☆セミナリオ修学館は、生徒たち全員が偏差値の高い学校に行くようにという指導はしませんが、そのような学校を否定しているわけでもないのです。

☆実際に、そのような学校が自分のやりたいことを実現できるのではないかと判断した生徒は、見事に合格しているし、その後東大にも進学し、大いに活躍しているということです。

☆アートに進んでいる生徒もいるし、たんなる語学留学ではなく、海外大学留学に結びつくようなシステムを構築している私立高校を自ら探しだし、そこに進んだ生徒もいるということです。

☆どのような学校に行っても、自分がやりたい意志を自分で学校にオファーする自立した基本的な生き方をしていけば、それでよいのだということでしょう。

☆そして、多くの生徒が、大学に進んだら、このセミナリオ修学館のサポーターとして手伝いにきてくれるというのです。やはり学びのトピカということなのです。

☆1教室の大きさからすると、10人ぐらいで授業が展開されると思います。当然、そこでは、講義と対話のやりとりが行われます。2020年大学入試改革とそれに伴って改訂が行われる新学習指導要領ではアクティブ・ラーニングが注目を浴びていますが、エリート校進学塾とか補習塾などというカテゴリーに収まりきれないセミナリオ修学館は、実は開設当初からそのアクティブラーニングが行われていたのだと確信しました。

☆宮澤先生、西方先生のお話しから、小学生から中学生まで、義務教育という範囲で、専門教科だけ教えればよいというものではなく、教科や分野横断的に何でも教えているし、相談にのっているということを想像するのは難くないからです。

☆これは、今騒がれているアクティブラーニングの真髄そのものです。多くはそこを忘れ、手法探しに躍起となっているのに、セミナリオ修学館では、そんな喧騒に右顧左眄する様子はありません。

☆昨今の塾事情で、やはり塾に通うための塾が増加してきています。高ストレスがどんどんたまっていき、自信もなくし、自分を見つめることもできなくなっている小学生や中学生が増えています。

☆そういう心の状態になってからセミナリオ修学館の扉をノックする生徒も少なくないそうです。最初は、自信もなく、自分を見つめようとしない壁を乗り越えられなくて殻に閉じこもっているケースもあるということです。

☆宮澤先生と西方先生は、相談のチャンスをいつでもつくっておくことが必要であり、先生と仲間といっしょに基本的な生活や勉強の習慣をつくっていく過程で、音を立てて殻を破り、目を見張るほど大きく成長していく生徒もたくさんいるのだと。

☆しかし、宮澤先生も西方先生も、柔らかい口調で、いつでもすべての生徒がそうなるわけではないと語ります。生徒の心をコントロールすることはできない。どうするかはあくまで生徒が決めることなのだというのでしょう。

☆エリート教育学校に進めますとか、そうなるためにはこれをやれば必ず合格しますとか、必ず成長させてみせますとかいう万能感を振り回す偏った塾がとかく評判を獲得しがちですが、ちょっと考えれば、生徒がみんなステレオタイプな進路を歩むと考える方がどうかしています。

☆生徒1人ひとりのポテンシャルを生み出す対話の空間をつくり、生徒が自ら道を切り拓いていける知識や技術、思考力を身につける授業は展開するが、実現の道を歩むのは生徒自身であり、その姿を大いに応援する。しかし、本人にとって何が幸せかは、私たちが決めることではないのだという、お2人の静かな情熱に、教育制度や市場制度を超えて、かけがえのない生徒の存在を大切にするセミナリオ修学館の本質を見たと感動しました。

☆ポテンシャルを引き出す対話空間としての学びのトピカ。私たちが忘却している教育の本来性がここにはあるのです。

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