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学校選択のための評価のメガネを磨く<05>アクティブ・ラーニング

☆21世紀型教育の授業はアクティブ・ラーニングで、今や、この言葉はバズワード化しています。しかし、それだけ、受験市場や教育市場では売れている言葉です。ですから、教育産業や出版社が、こぞってこの言葉が示す学びの行為をコモディティ化し、売ろうとしています。これは英語塾と同じような動きですから、大いに結構です。安い商品を買うか、良質商品を買うか、その判断は私事の自己決定なのですから。

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(本物アクティブラーニング先進校の工学院。体験→理論化→体験→理論化・・・を展開し続けています。理論化の時にテストデータを活用しているところ、そのために新タキソノミーを創っているところなど、本格的な開発が行われています)

☆しかし、その品質について、どう判断してよいか決定するための基準があるかといわれると、それもまだはっきりしていないのが、現状です。

☆特に初等中等教育段階は、体験主義で、わくわくするとか感動するとかいうレベルでよしあしが決まっています。

☆アクティブ・ラーニングの体験主義的側面を強く押し出してきて、その魅力を正当化する言説が後をたちません。

☆しかしながら、これって読書百篇意自ずから通ずという学びのパターンと何ら変わりがありません。結局できる生徒はできるけれどそうでない生徒はそのままということが起こります。

☆ただ、今までは読書という体験をみんなするかどうか管理できなかったわけですが、アクティブ・ラーニングは、チームワークづくりという媒介項があるので、できるだけ全員が参加する自生的な姿勢が生まれます。

☆みんなが読書百篇やれば、みんなが理解するのと同じように、みんなが参加して体験すれば、みんが理解するわけです。

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(工学院のプロジェクトチームは、個人の体験→インター個人の共有→理論化→個人の体験→・・・・・・というラーニングスパイラルを学内に広めています)

☆みんが理解するからよいではないか?そう思うかもしれません。まあ、そうかもしれません。しかし、体験から汲み上げているものを理論化すれば、さらに新しい感動が生まれます。

☆しかも、学びの理論化は、まだいくつかのモデルがあるだけで、普遍化していません。ですから、そのつど発見です。これほどわくわくするものはないでしょう。そしてそれを検証するために体験する。この繰り返しが、達成感以上のイノベーションの感動を生むのです。

☆このような次元がぐるぐるまわって上がり続ける学びを開発する教師、いっしょに学ぶ生徒がいる学校のアクティブラーニングが良質ということなのです。

☆一方で、ある教師の成功体験を追認して感動しているだけというスタイルもあります。これはこれで感動ですからわるくはないでしょうが、この手のアクティブ・ラーニングは、テキストや素材が変わるので、表面的には飽きがきませんが、次元が変わらないので、実際には思考停止状態の生徒をたくさん輩出します。

☆このような学校では、「クリティカルシンキング」という言葉はまず使われません。しかも、意識して使っていないのです。

☆ところが、自己決定が難しいのは、実は矛盾やパラドクスの局面にぶつかったときです。海外だと、この局面をどう乗り越えるかクリティカルシンキングするレベルを学問というわけです。

☆ですから、大学に入る前にクリティカルシンキングテストがあるぐらいなのです。現在の日本の大学入試問題にクリティカルシンキングを要する問題はほとんどありませんね。そこに日本の大学、そして初等中等教育の世界標準以下の教育システムができあがっている理由が横たわっています。結局、体験主義、根性主義、情熱主義です。パッションとは情熱だけではなく受難という意味ももっているのに、後者をカットしていますね。

☆ここをクリアしようというのが、本来の21世紀型教育なのです。今はまだ実感がわかないでしょうが、高校と大学が、2018年問題に直面するとき、はっと気づくでしょう。そのときには、救済不能の高校や大学もでてくるでしょう。今はまだ「ユデガエル」状態です。。。

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