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新たな動き【37】立教女学院の知 読売新聞で紹介

<新たな動き【06】 立教女学院の知(4月7日) >でも紹介しました立教女学院の≪卒論≫について、読売新聞(「学ぶ育む~最前線」4月15日)の飯田達人さんが取り上げていました。

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☆3月12日(土)に、同校チャペルで行われた高3卒論発表会の取材の模様を掲載していました。

☆高3生の「なぜYouTubeは音楽流通手段として普及したのか」という卒論と2013年度に卒業し、今立教大学3年のOGが当時書いた「日本のトイレの先進性とその背景」という卒論について紹介していました。

☆どちらも身近なテーマから文化やグローバルな視野に展開していく論文で、それぞれの進路につながる研究になるほどレベルが高い点に注目されたようです。

☆公立高校である青梅総合高校の取り組みも紹介し、<学校現場では、知識詰め込み型の教育から、自分で考え、探究する「アクティブ・ラーニング」への転換が進められて>いるケースの象徴として論じたのでしょう。東京大学の小玉重夫教授の次の言も引用していました。

「18歳以上への選挙権年齢の引き下げで、高卒段階で自分の考えをしっかり持つことが求められている。大学入試も今後、課題探究の力をさらに重視する方向に変わる。卒論を義務付ける高校は今後さらに増えるだろう」

☆たしかにその通りです。しかし、私立と公立では、少し事情が違います。特に立教女学院のような宗教教育がベースの学校は、自分の考えや自分の課題探究の力を身に着けることも大切ですが、それが世界の痛みを救済する考えに広がる必要があるのです。

☆“man for others”という聖書の精神ですね。公立学校はそれは直接はできません。本人が自由意思(そもそも自由意志という言葉でさえも宗教的かもしれません)で、その思いを抱くことは問題ありませんが、論文編集の段階で、それを論じ合うことはなかなか難しいのです。

☆今、世界の痛みを共感して解決するためには、論文編集の時に直截に論じ合わなければならないでしょう。「客観的に」という当事者意識に距離を置かざるを得ない方法論を使うわけです。

☆しかし、論文指導が増えていくと、公立の現場の心ある先生は、そこでジレンマに陥ります。そういうときは「~という考えがある」が、君ならどうすると問い、生徒の自分の立場を根拠づける論理だけ指導するわけです。

☆しかし、そこには“man for others”とはどのような正義なのかについての考え方の正当性も信頼性も妥当性もクリティカルチェックできないのです。価値相対主義という宗教とは真逆の場という限定付きなのです。

☆さて、しかし、私が言いたいことは、このことではありません。このような境界線をメタ認知できているかということなのです。「国家道徳」という価値相対主義とは一見真逆でありながら、普遍的価値からみれば、ローカル主義であるような価値が闊歩しないかというクリティカルシンキングは誰ができるのかということなのです。

☆本来は、ジャーナリズムなのでしょうが、生徒の学び方に限定して、2020年大学入試改革について論じてばかりです。国の未来として必要であることを、政治経済や文化全般からきちんと論じることを期待したいのですが。

☆国の未来がなくなれば、子どもの未来もないのですから。私が≪私学の系譜≫にこだわるのは、私学もいろいろあるけれど、原点に立ち戻ることによって、優勝劣敗、GDP成長主義とは異なる民主化、近大化、政治経済の構造化の視点を継承する場であることを思い出せるからです。

☆同じ公立学校でも、ルソーを尊敬するフランス国家の教育成策とルソーを排除した日本国家の教育政策では全く違います。1755年リスボン大地震が帝国の危機を露わにし、パラダイム転換に火をつけたルソーやカントの思想を生みだしたと言われています。

☆その延長上にあるヨーロッパと2011年の3・11や2016年の4・14、1995の1・17などの後も変わらない日本国家。難民問題やテロの問題は日本には関係ないと思っている節がある日本国家。1995年は、日本人によるテロがあったことは忘れていないでしょうに。

☆純粋欲望も純粋理性も、ロジカルにはどちらがどうのということは決められないことは、カント自身が述べています。ルソーは嫌いだけれど、カントは好きな日本というのは間違いです。

☆日本は、カントの純粋理性批判と実践理性批判が好きなだけで、ルソーの影響がにじみ出ている判断力批判は抜け落ちています。美学というエモーショナル感覚の正当性が論じられないわけです。そこは価値相対主義なのだと。趣味の世界なのだと。

☆行き過ぎた経済は生活の美学に反するということを論じることができなくなっているのです。そこは自己責任だと。フランスにももちろん原発などの問題もあります。軍事戦略の問題もあります。しかし、生活の美学をデザインするのは自己責任で終わるのではなく、支援体制が日本よりはるかにあるのです。

☆立教女学院の卒論への道行きの真の重要性は、人間の生き様の美学そのものを考えることができるところにあるのだと思います。

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