新たな動き【50】 工学院の異次元の授業④
☆実は、文法よりもコミュニカティブなんてよく言われますが、その文法も統語論の一部の範囲しか指していないわけで、実は全く不足しているのです。今までは、その不足している文法で説明されてきたわけですから、生徒は何がなんだかわからなかったのは、実はしかたがなかったのです。
☆文法なんてっていう人に限って、異文化理解だ、文化の違いだとなかなか騒々しいのですが、その文化の違いも言語の制度の1つで、広い意味で文法なのです。
☆受験英語は役に立たないと言われますが、受験勉強が間違いだということではなくて、言語の世界を矮小化することになるという点で、批判されるだけなのです。
☆21世紀型教育において、もはや統語論の一部の英語をやっていても、世界に通用しないというのは、実は、英語だけの問題ではなく、国語の問題でもあるのです。なぜか国語も20世紀型教育の英語の文法のように、統語論的接近しかしていないのです。
☆母国語を使っている日本人からしてみれば、そんな範囲は、狭い領域に閉じ込められているような気がして、文法なんて嫌いになってしまいます。ところが、工学院の国語科の野田先生は、中1のこの時期から、文法を生徒と学ぶときに、統語論的な接近ではなく、意味論や語用論的な接近をします。
☆文脈や習慣によって意味が変わる世界を生徒といっしょに問答形式で考えていくわけですから、生徒もノリノリなわけです。
☆ランゲージアーツとして国語も英語も位置づけられてカリキュラムが組まれていれば、生徒にとって一石二鳥です。いや実は意味論や語用論は、社会構築主義の流れにつながりますから、社会科のジレンマ問題、すなわちグローバルイシューを考える際に、当然越境して活用できるのです。
☆意味論は特に、カテゴライズや集合論を考えたり、パラドクスを解決するのに必要な発想です。となれば、これはサイエンスマスを学ぶときにも大いに役立ちます。
☆そんなことは、理屈では工学院としてまだまとまっていないし、その必要もないかもしれません。コミュニケーションに満ちている工学院の先生方が、エゴグラムや思考コードでデータを分析し始めると、自然とそこに意味論や語用論を使って談話分析と同様のことが展開し始めます。
☆もちろん岡部先生も、記号論を展開しているわけではないのですが、プリンシプルというか「自分軸」が筋金入りのプラグマティストですから、特にこの流れに近い語用論を英語の授業の中に自然と組み込んでいるのでしょう。
☆語用論は、論理的言語と習慣文脈言語の比較研究によって成り立ちますから、ヘーゲリアンウェイのプラグマティストである岡部先生にはしっくりいく文法論なのでしょう。
☆point of timeとarea of timeという時間と空間の変容によって現在完了を感覚で生徒が身体に染み入らせていく手法は巧みだし、おもしろいと感じました。時間概念を直線的空間として捉えるか、円環的空間でとらえていくか、金利を正当化する欧米的時間概念か、贈与的循環イメージの時間概念か、中3の段階では、まだわからなくても、高2あたりになって、組織や社会や国と自分という世界を構築するときに、時間概念のジレンマをどう解決するのかにかかわってきます。少なくとも世界の貧困は、直線的時間概念が大きくかかわっていますからね。
☆高3の金井先生の生物の授業では、ちょうどウニの発生とカエルの発生について問答授業が展開していました。両者の比較をしながら、個体発生と系統発生の関係を考える新しい進化論への刺激がありました。これも時間概念のプロトタイプの葛藤があるところですね。
☆結局、分野横断型とか教科横断型とか言ったとき、アクティブラーニングをやればできると言うのは正確ではありません。ランゲージアーツとサイエンスマスをつなぐ統語論・意味論・語用論などについて、生徒はどこかで学んでいなければならないわけです。
☆なるほど、国際バカロレアではTOKという言語思考術トピカが用意されているわけですね。岡部先生の授業は、このまま高校へと進むと高2あたりでTOKをカバーするようになるのかもしれません。もともとTOKは高2・高3用のプログラムですから。
☆それはともかく、岡部先生の授業の興味深いところは、概念を考える時に、タブレットを活用しないところです。身体感覚をアクティブにするステージから、アクティブブレインにチェンジするときには、ホワイトボードミーティングに移行します。スポーツをするときや結婚式に参加するときに服装を変えるのと同じです。構えに合う姿に変身するものなのです。学びも同じです。
☆そして、そのようなときの服装は道具ではありません。装着を外した時は道具ですが、装着しているときは、自分の個性を表現する生身の人間そのものです。
☆学びの空間も、はじめからチームなのではないのです。個人→3人→個人→5人・・・・などと変幻自在です。弁証法的過程を空間に埋め込んでいるわけです。その空間も人間の存在の在り方に影響を与えます。もはや単なる物理的空間ではありません。フランクロイト・ライトやハイデッガー、岡倉天心が物理的空間と住まう空間の差異を意識していたのと同じですね。
☆岡部先生は、その差異を統合する学びの空間を創りだしているのですが。
☆そして、肝心なことは岡部先生は、このような理屈は生徒の前で一言も語らないことです。私たちがタブレットを使う時に、そんな理論をしらなくても活用できるのと同じです。しかし、そういう理屈でタブレットはできているのです。
☆プロユーザーとしての(プロデューサー×ユーザー)岡部先生ならではの授業です。
☆今トレンドのアクティブラーニングの世の中の多くの試みは、まだだれかがデザインしたプログラムを活用しているだけのものが多いですね。生徒より教師の方が優れたユーザーであるという段階です。
☆いつかどこかでプロユーザーに教師も実は生徒もなる時が来るでしょう。これが思考コードベースのルーブリックを教師と生徒がシェアできるようになったときなのは、いずれまた確認しましょう。ともあれ、そのときまで、当分アクティブラーニングは必要か効果はあるのかという表層的議論が続くでしょう。しかし、それも深層へシフトする前の過程で通らなければならない道ゆきです。教育界は、工学院が異次元に突入している今、ようやく、そのひとつ前の次元の入り口に立ったところです。
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