« 新たな動き【91】 開成 グローバルの道へ | トップページ | 新たな動き【93】武蔵のルーツ 武蔵が武蔵であり続けるために »

新たな動き【92】武蔵の枠を超えるというコト

☆御三家の中で、武蔵中高は、比較的塾歴社会化から難を逃れている。それはなぜだろう。おそらく入試問題で合格が読みにくいからだろう。偏差値で、このぐらいだから合格確率は高いと開成や麻布のようには読むことはできないからだ。

☆オール記述だし、細かい多くの知識は必要ない。昨今中学入試で多くの学校がチャレンジしている適性検査型入試、思考力入試のプロトタイプの1つである。もちろん、思考のレベルは低次思考ではなく高次思考を求められる。

☆いわゆる受験勉強で、記述式問題の特訓をしても、武蔵対策をしない限りは、低次思考の記述になるから、武蔵対策をしたつもりで、対策になっていないという場合も起こり得る。

☆逆に模擬試験で偏差値55から60くらいでも、高次思考が得意な生徒は武蔵に合格してしまう。

☆学びには、いくつものタイプがある。それはすでに述べているが、発想術や思考術という高次思考から学ぶ生徒がいるにもかかわらず、受験勉強の多くの場合、知識・技能・理解から積み上げていく学びが一般的なのである。

☆もちろん、高次思考と低次思考の両方が循環している生徒がいる。そういう生徒は低次思考から高次思考に学びを発展させようが、高次思考から低次思考に降りていこうが、偏差値というスコアに低次思考の力が反映する。

☆しかし、高次思考でとどまり、低次思考に降りて行けない生徒は、偏差値にその実力が反映しない。逆に低次思考にとどまり、高次思考に飛べない生徒は、偏差値に反映するが、それでは、武蔵には合格しない。開成、麻布はギリギリ合格するかもしれないが。

☆そんなわけで、武蔵ははじめから高次思考にしか興味と関心がないため、世間からは枠をはみ出た生徒だと思われている。

☆また、武蔵は学者を多く輩出しているため、そう思われるのもやむを得ない。むしろそれを誇りに思っている。現理事長の有馬氏も、当然武蔵出身で、東大総長を務めた。そのときあのゆとり教育推進の中教審の座長でもあった。

☆考えてみれば、武蔵流の高次思考ができるゆとり教育を目指していたのだろうが、当時、世の中は低次思考が思考そのものだと思っていたから、中教審の思惑とは大きくずれてしまった。しかし、今再び、今度はブルームのタキソノミーを持ち出し、学びを通しての創造的思考を目指す学習指導要領が生まれようとしている。

☆アクティブラーニングがトレンドだが、これもまた低次思考で論じられ実施されがちだが、武蔵流儀のアクティブラーニングは、学者を輩出する学びの土壌としてのアクティブラーニングを示唆している。

☆最近は、文科省も今度こそとばかり、「深いアクティブラーニング」をと唱え始めている。

☆武蔵には、あの南原繁や家永三郎の家系の子弟が入学し、その多くが学者になっているように、学者が自分の子どもや孫を入学させたい学校の1つである。

☆今の東大総長の五神真氏も武蔵出身である。

☆同校サイトに「卒業生の声」が掲載されている。よくある合格体験記などとは全く違うページである。武蔵の知そのものがいかに卒業生1人ひとりの創造的な知性を養い、世の中に破格な人材として活躍せざるを得ない刺激を与えてきたのかについて、クールに、アイロニカルに、パラドキシカルに述べているものばかりが並んでいる。

☆守矢健一(60期 昭和61年3月卒業)氏の次の言葉をご紹介しよう。

大学で法学の研究と教育に携わり、行きがかり上、とくに日独法学学術交流のためにも微力を注ぐ巡り会わせとなったわたしにとって、武蔵とは、こうしたある種の、自分を居心地悪くさせる記憶にほかならない。武蔵とは、自問を強いるなにものかなのだろうか?たとえば ―― 日本の法学は、明治以来のあくせくとした日本社会の近代化とぴったり寄り添って発展してきたが、そこに、歴史学的なクールな反省はなされてきたか?大学教員は、学生の評価を気にして講義内容を「分かりやすく」「おもしろおかしく」していないか?国際学術交流とは、国内外の有名教授を招聘し、流行のテーマで国際シンポジウムを開催して、知的スノビズムをちょっとくすぐられるものの結局は当たり障りのない議論をすることだと勘違いする「大学教授」が、ちと多すぎないか?知の矜持はどこにあるか?

「武蔵的なるものとはなにか」の抽象的探求にはわたしは関心がない。関心があるのは、武蔵にあってわたしを魅了し続けてきたと同時にわたしを知的に刺激し続け、動かし続けるところの、ある知的スタイルである。このスタイルは、どのような知的脈絡の中に生きてきたものなのか、そしてそれをわれわれは今後どのように紡いでいかなければならないのか。それをわたしは考え、実践していきたい。

☆守屋氏は、基礎法を学び、今はある大学の教授の任についていると思うが、結果的に≪私学の系譜≫の根っこの研究に携わっているように思える。

☆日本の近代法制史をクリティカルに研究し直し、別の道があったのではないか、未来への新たな道があるのではないかと、通説の枠を超える自問自答が上記の文章には見え隠れしているからである。

☆武蔵の生徒や卒業生は、有馬氏の教育改革の根底にもあるが、筋金入りのスーパー個性重視主義者である。見識あるリバタリアンだと思うが、この枠を超える視点がなければ、日本を変えることなどできないだろう。

|

« 新たな動き【91】 開成 グローバルの道へ | トップページ | 新たな動き【93】武蔵のルーツ 武蔵が武蔵であり続けるために »

21世紀型教育」カテゴリの記事