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教育課程部会 教育課程企画特別部会(第7期) アクティブ・ラーニングを図から地に反転か?

☆2016年6月28日に開催された教育課程部会・教育課程企画特別部会(第7期)(第17回)で配付された資料がおもしろい。昨年8月26日に公開された「論点整理」と比べ文言というか表記が少し変わってきた。おそらく中身は変わらないから、ついにその本音が表出したということか。

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☆特に「アクティブ・ラーニング」のとらえ方。相当広い範囲で論じられ、日本全国、この手法の研修会やセミナーが開催されてきた。いわゆる浅いアクティブラーニング、なんちゃってアクティブラーニングが広まり、文科省も、ちょっと危惧したのか、溝上先生が提案されたのか、そこらへんはさだかではないが、次のような表記になっている。

主体的・対話的で深い学び(「アクティブ・ラーニング」の視点)

☆ルビンの壺ではないが、「主体的・対話的で深い学び」が前面に出て「図」になり、「アクティブ・ラーニング」には「の視点」が付いただけではなく、括弧でくくられ、背景に退く「地」になっている。

☆さらに、「何を学ぶか」の領域は外され、「どのように学ぶのか」という授業の手法に限定されている。

☆これによって、「アクティブ・ラーニング」そのものはやってもやらなくてもいいのかどうかわからないが、論点ではなくなった。<「アクティブ・ラーニング」の視点>が授業の中に入っていればよいのである。

☆一方通行型の講義はさすがに排除され、「対話的」とされているが、今までの授業でも「問答方式」であれば「対話的」である。「主体的」といっても、「何を学ぶのか」を授業の中で、生徒が自分で決めるわけではないのだから、外発的なもので、内発的な主体性は、学習指導要領では問題にならない。

☆「深い学び」といっても、「何を学ぶのか」は決まっているのだから、越境的な学びにはなりにくい。単純に難しい問題を学ぶ程度ということをイメージしているのだろう。

☆昨年までの広い範囲で論じられてきたアクティブ・ラーニングだと、確かに浅い学びになる危険性もあった。しかし、教師の発する問いが、ある一方向に考えていくものではなく、いろいろな角度を、生徒が自ら問いかける、すなわち何を考えるかは生徒自身の手にあるという意味で主体的で、対話的で、深い学びに発展する可能性が残されていた。

☆前者は教師のローリスクアプローチ、後者はハイリスクアプローチだと言われてきたが、文科省はどうやら広く公立の学校の現場を想定し、ローリスクアプローチを採用したのだろう。いやもともとそのつもりだったのだろう。

☆私立学校だって、20世紀型教育を行っているところは、ローリスクアプローチで、結局反復ドリル学習ベースで応用問題までしっかり勉強しようという話になりがちだ。

☆たしかに東大の一般生対象の入試問題は、ローリスクアプローチで作成されている。浅い学びだけれど、難しい問題をトレーニングしていないとできない。この「浅い/難問」という実態を「深い学び」で覆い隠してしまう。

☆しかし、東大の帰国生対象の入試問題は、ハイリスクアプローチで作成されている。ワクワクするような問題。しかし、募集人員は若干名。かりに60人入学したって、2%弱。

☆ところが、シンガポールの大学、すなわち東大よりも世界大学ランキングやアジア大学ランキングで高い位置にある大学は、すべての学生がハイリスクアプローチの学びをクリアしてきた人材ばかり。

☆2020年大学入試改革が、もし実行されなければ、日本の大学や初等中等教育がどうなるかは、火を見るより明らか。

☆ではあるのだが、東大の帰国生対象の入試問題を知っている人は教育業界でもこれまた数パーセント。文科省の審議委員もほとんどの方は興味ないだろう。最近では石川一郎先生の「2020年大学入試問題」(講談社)を読んでいる方が増えているから、だいぶ認知されてきたかもしれないが、まだまだだろう。

☆東大でさえそうなのだから、あとは推して知るべし。本物の深いアクティブラーニングをやらないということは、生徒の才能を開花する機会を奪うということを意味するのだが、そのことをわかっている人が教育界でどのくらいいるのだろう。

☆参議院選や都知事選を目前に、そんなことが全く話題になっていないこの局面。かつて、H・G・ウェールズが、「文明は常に教育と脅威の闘いなのだ」というような趣旨を語ったが、我々自身の脅威と闘う教育は絶望的なのだろうか。。。

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