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新たな動き【136】 聖光学院 本物の20世紀型教育を宣言

日経のサイト(2016年8月7日)に、聖光学院の校長工藤誠一先生の本音インタビューが掲載。ここまでオープンだと、どこか小気味よい。学校選択の参考に大いになるので、一読をおススメする。

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(写真は日経サイトから)

☆こんなくだりがある。

「私が92年に管理職として、学校事務をあずかる事務長に就任した際、まず考えたのは「進学校」という枕詞(まくらことば)で語る教育をやめようということです。「進学校だから」といって、クラブ活動や宗教教育、芸術活動をないがしろにしてはいけないと。それまで本校は、受験に関係することだけをギチギチやっていました。「それだけですませてしまうのをやめよう」というのが改革の出発点でした。」

☆たしかに、工藤校長が改革を行うようになって、月曜日から金曜日までは、受験を見据え授業が展開され、土曜日には幅広い教養や国際性を身に付ける多様なプログラムが実施されるようになった。大学や企業などとコラボレーションした魅力的なプログラムも展開。

☆それゆえ、20世紀型教育という知識注入型の教育ではなく、リベラルアーツの現代化を行う21世紀型教育も見据えていると感じたものだが、私が決定的に違和感を感じたのは、教師の抑圧力だ。これはどこからやってくるのだろう。

☆21世紀型教育は、才能やテクノロジーのみならず、寛容性を重視する教育。カトリック教育として、寛容性はあるだろうと思っていたが、どこか違う。だから、1人ひとりの才能も実際には、開発できる教育をおこなっているのかどうか少し距離を置いてみてきた。テクノロジーというか技術はたしかに磨かれると思うが、そのテクノロジーは、未来を拓くテクノロジーなのか、現状の中でトップをとるための優勝劣敗手段なのか・・・。

☆ところが、今回はっきrしたのは、次の2か所の工藤校長の語り。

ファンダメンタルな教養を養うことを狙い、多くのプログラム、カリキュラムを用意し、どんどん変えていっています。企業にとっての新商品と同じです。主だった学校の方針は変わらずとも、時代に合ったプログラムを提供していかなければなりません。

東大合格者を多く輩出することは重要です。本校はいわば「東大依存型校」ですから。しかし、「脱東大」では駄目です。東大合格者数を保ちながら、効率よく医学部にも合格させ、米ハーバード大など世界の一流校にも生徒を送り出していきたいと考えています。 日本を代表してほかの国の若者と戦える人をつくるのが使命。ただし、根底にあるのが1度しかない10代を幸福感を持って暮らしてもらいたいという気持ちです。

☆「ファンダメンタルな教養」というのは、歓迎。とはいえ、それを養うプログラムは「企業にとっての新商品と同じ」という言葉は、本音トークで「ファンダメンタル」とは真逆。工藤校長の企業観は、同記事の文脈上20世紀型だろうから、そこにおける「商品」とは、決してファンダメンタルなものは必要としていない。もしかしたら、この「ファンダメンタル」というのを株式市場における「ファンダメンタル」というのなら、そうであるし、そういう意味での「ファンダメンタルな教養」は、どこか違う。

☆この考えは、売れればよい。勝てば官軍という発想が背景にある。そうは思っていないと言われても、そういう発想が無意識にあるものだ。

☆また、「東大依存型校」というのは、「学歴社会」「塾歴社会」を変えようとする意志はないという宣言。「脱東大」は駄目だというのは、硬いマインドセットがされているということ。同じカトリック校のサレジオ学院はどうなのだろう。聖光学院に同調しているのだろうか?

☆だとするならば、カトリック的世界観でいえば、ユダである。もちろん、聖書の中にでてくるユダは、その存在はキリスト教にとって、極めて重要だ。キリストが人々の痛み世界の痛みを背負う演出をユダはするのだ。

☆カトリック校は、このミッションを忘れかけ、聖光学院と同じような道を歩み始めている。しかし、工藤先生のように不退転の覚悟をもって、その道はユダの道であることを明言するところはない。

☆しかし、ここまで工藤先生は意思決定をして表現した。それは、他のカトリック校にさあどうする、経営のためにイエス・キリストを退けられるのかと迫っているのである。

☆工藤先生の言動は、神奈川エリアの私立学校にも同様の問いを投げつけている。カトリック学校は、イエス・キリストを取り戻すのか、神奈川エリアの私立学校は、改革するのか。

☆工藤校長はクリスチャンとして、12使徒の道行きのうち、いまここでイスカリオテのユダになり、改革インパクトを世に与える選択をしたのかもしれない。

☆カトリック校は、きれいごとを言っている場合ではないのだよと工藤先生は身を持って警鐘を鳴らしているのではあるまいか。

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