アクティブラーニングの創り方のメモ(3)本当に深いアックティブラーニングとは?
☆とりあえず、認知心理学や学習理論などでは、ブルーム「型」のタキソノミーにおいて、「知識→理解→応用(適用)」までをlower order thinking(LOT:低次思考)と呼ばれ、「論理→批判→創造」の次元までをhigher order thinking(HOT:高次思考)と呼ばれている。
☆20世紀型教育においては、LOTがメインで、それゆえ解答があらかじめ決まっているから、ローリスクアプローチの教授法あるいは学習法だと言われている。
☆21世紀型教育は、予想困難な事態を創造的に解決するために、HOTがメインで、その領域は解が1つではないから、生徒から何が飛び出てくるかわからない。それゆえ、ハイリスクアプローチの教授法あるいは学習法と言われている。そして、前者は浅いアクティブラーニング、後者は深いアクティブラーニングと呼ばれてもいる。
☆わるくはないし、真理の一端を担っているかもしれない。しかし、それでは、アクティブラーニングの深層構造のうち、表層である第1層、せいぜい深堀して第2層の見えているところアタリを意識して授業や学びをデザインしているに過ぎない。
☆エッ!それで十分ではないか。実存(現実存在)としての教室で、アクティブラーニングを造っていくとき、多忙な中で、生徒のニーズや学習指導要領の要請や、2020年の大学入試改革に備えるために、四苦八苦している。この実存を表層というのは、本質主義の横暴であると言われるだろうか。
☆この論は、明治維新以降の≪官学の系譜≫の考え方である。それゆえ、文科省の政策が変われば、入試制度が変われば右顧左眄し、右往左往してきたのだ。
☆何を言うのか?文科省は、「主体的で対話的な深いアクティブラーニング」を提唱しているではないかと言われるかもしれない。だから、わるくないし、真理の一端を担っているかもしれないと断っているのである。
☆ただ、では、なぜ「主体的で対話的な深いアクティブラーニング」にシフトしなければならないのか?学校卒業後、イノベーティブな職業にトランジッションできるように21世紀型スキルを身につけなければならないからなのか?もちろん、それは重要だ。生きていいかねばならないからだ。
☆それこそ実存ではないか!どうだあ!といわれるかもしれない。たしかに、そうだ。しかし、問題は、なぜ生きるかのか?という問いが不問に付されていることだ。
☆生きるのは当然なのだと言われるだろう。しかし、そのために、化石燃料の奪取はやむを得ないとなり、格差社会も当然で、アクティブラーニングが結局知の格差=経済格差を広げていくことは、社会的進化論としては優勝劣敗という実存を生き抜くことだからよしとされる。ここに議論を挟む余地はなくなる危険性がある。
☆アクティブラーニングには様々な種類があるし、学びのパターンもたくさんある。それらを組み合わせれば無限にあるだろう。その中から、最適なアクティブラーニングは何だろうと研修が大忙しというのも現状だ。
☆それを選ぶのに、それを支えている教育学部の先生方のどの理論を選ぶかまでは、うっすら見えている。しかし、日本の教育学とは、基本的には学問としては制約がある。文科省の枠組みの中で学問せざるを得ないからだ。
☆しかし、他の学部も、もちろん制約はあるだろうが、学問の自治や自由を考える余地は残されている。
☆それゆえ、私立学校でデザインするアクティブラーニングは、教育学部の理屈を超えて、幅広い学問にアプローチする必要がある。創造的思考が重要だったり、4技能英語が必要な理由は、心理学や知識社会学、言語学、記号論、文化人類学、文学、遺伝子工学などの専門分野ではむしろ常識だったりする。
☆それゆえ、多くの私立学校が高大連携をさかんに仕組んでいるのは、そういう理由があるのだ。今や大学もアクティブラーニングを行っているところが多くなっているから、そういうところと高大連携すると、探究型(PBL型)アクティブラーニングをやるのは当たり前の感覚になる。
☆それゆえ、プロジェクトチームは大切になる。高大連携は、エージェントさながら学校が動かなければならないからだ。大学の先生を招いて、講演をしてもらうだけだったら、知り合いの伝手でなんとかなるが、大学の研究と中高の学びの接点を見いだす企画をデザインするには、大学の教授とその研究室というチームと中高のプロジェクトチームがコラボレーションすることがカギになる。
☆一般の公立学校はこの動きはできない。したがって、どうしても第三層以下は見えないようにしなければならないのである。
☆しかし、国家エリートを養成するためには、第三層を掘り当てなければならない。それゆえ、公立中高一貫校やSGHという教育政策を立案実行するのである。
☆文科省は公平性の観点から私立学校にもチャンスを与えるが、公立の優先順位が高いことは、認定リストを見れば明らかだ。
☆そして、私立学校は、同じエリートでも、地球市民的エリートを育成する。世界の痛みをベースに国を考えるのである。
☆≪官学の系譜≫のエリートと≪私学の系譜≫のエリートの違いはあるのか?それは明快だ。前者は国益が優先であり、後者はman for othersという国連のビジョンが優先する。
☆どうしてそんなことが言えるのか?それは第4層に理由がある。まず国家エリートは、第3層の専門分化した知識階級でよいのである。ところが、国連ビジョンを優先すると、専門分化を統合したり学際的に考える思考様式が必要になる。それを決定的に与えたのが、近大啓蒙思想であり、木を見て森をみない価値相対主義の問題を解こうとしたのが、その思想に基づきながら新しい価値意識にシフトした現代思想や現代美術、現代数学などなどである。
☆日本の私学が誕生する19世紀末に生まれ、その後富国強兵優勝劣敗思想やファシズムに徹底的に痛めつけられ、戦後教育基本法で復活することになった≪私学の系譜≫の根っこである。この教育基本法は改正され、さらに人類普遍の原理という啓蒙思想を憲法から取り除かれようとしている危うさがちょっとあるので、本当は私立学校にとっては生命線なのが、第4層ともいえるが、そこを論じることができる私学人は、残念ながらそう多くはない。
☆しかも、この第4層は、私学人からも忘却されようとしている。それはリベラルアーツの現代化がまだ生まれていないからでもある。
☆リベラルアーツの現代化とは、第4層の自然法論的ビジョンをどのようにデザインするかということなのである。建学の精神とは、ルソーで言えば、自然状態のビジョン。ところが、明治維新以降、東大教育学部は、天賦人権説を廃棄し、社会進化論を展開。つまり優勝劣敗思想。今でいう勝ち組負け組発想。実はそのときフランス法を排斥して、法律進化論を展開した法典論争というのがあったが、教育政策と法デザインが法実証主義という価値相対主義に突入したのは、時を同じくしている。
☆この自然法論的な秩序は、建学の精神の秩序にも重なるのが私立学校だが、たしかに、形骸化して現代化できていない部分もある。
☆では、リベラルアーツの現代化はどのようにしたら可能なのか?結局、プラトン―ソクラテス、アリストテレス―トマス・アクィナスの第5層に行きついてしまう。
☆なんでそんな古い層を掘り当てるのか?啓蒙思想やその系譜の現代思想は、結局、第5層を脱構築するところから始まっているからである。知識が生まれ出ずる原点に回帰することは、未来を拓く一つの方法尾論だ。あのサンデル教授の正義論でさえ、ほとんど第5層に着想がある。近代経済学は、アリストテレス―トマス・アクィナスの交換の正義と配分の正義の市場における価格決定の理屈から生まれているといっても過言ではない。シュンペーターのウケウリだけど^^;。もちろん、トマス・アクィナスは、さらにman for othersの黄金律が価格決定の最終審という、倫理的あるいは公正的市場主義者だが。
☆古いと思われるかもしれないが、啓蒙思想はさらに儒教の影響も受けていて、明治の私学人が、欧米近代を受け入れられたのには、思想的背景がきちんと準備されていたのだ。福沢諭吉、江原素六、渋沢栄一などの≪私学の系譜≫第一世代は、欧米文化と儒教文化の両方の見識を持っていたのは、その証明ではないだろうか。
☆そんなことを研究している学者を招く必要があるのか?呼んでもよいけれど、あまり役に立たないだろう。ではどうするのか?プロジェクトチームの出番である。実は、この部分については、欧米では哲学というカリキュラムが存在している。イギリスのAレベルやフランスのバカロレアでは、哲学の試験がちゃんとある。
☆米国のリベラルアーツカレッジも、第4層、第5層は学ぶ環境がある。グローバル人材とかいうものを育成するのに、この第4層と第5層のビジョンがなくてどうするのだろうか?
☆最近IBのTOKは重要だとかZ会あたりでも持ち上げているが、このTOKは、第4層、第5層のお話しである。
☆そこでだ、プロジェクトチームは欧米の哲学を教える外国人教師とコラボすればよいのである。すでにそれを始めている私立学校もでてきているが、そのとき、英語ができなければならない。ICTといい、英語といい、実は授業デザインのバックヤードですでに大活躍なのである。
☆それに第5層を古いと言ったとしても、ディスカッションするとき、論文を書く時、そして対話をするとき、ちゃんとアリストテレスの「トピカ」やトマス・アクィナスの「神学大全」という当時の思考スキルマニュアルを、そうとは知らず、今も日々使っているのである。
☆これらの書を読んでいる暇はない。でも外国人教師とコラボすることはできる。学習する組織としてのプロジェクトチームが、私立学校において必要なのは、本当の深いアクティブラーニングへの想いがあればこそである。
☆もちろん、神は死んだ、自然状態は蒙昧だ、価値は相対的なものなのだ、有用性が大切だという新自由主義的な考え方で、第3層以下は切り捨てる学校もあるだろう。
☆私がいっしょに取り組んでいる私立学校が≪私学の系譜≫の未来をデザインしようとしているだけである。≪官学の系譜≫の未来をデザインしようというのもありだと思う。私は、私事の自己決定として≪私学の系譜≫を応援する自分軸をぶちたてているだけであるから。
≪私学の系譜≫が復活した終戦の日に
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