PISA2015の結果 まだ解決できていない部分=2020年大学入試改革の問題
☆2015年OECD/PISAの結果が日本語で公開された。シンガポールがすべてのリテラシーでトップで、日本はサイエンスリテラシーとマスリテラシーでトップクラス(?)だったが、リーディングリテラシー(なぜか「読解力」と翻訳され続けている)は下がってしまった。どうしてだろう?とPISAがはじまってから相変わらず同じ問題を解決しないままボヤキ続けている。
☆文科省などは、日本の子どもはまだ紙のテストが中心で、今回のようなコンピュータベースドテスト(ダイナミックテスト)に慣れていないからしかたがないみたいな言い訳をしている。
☆つまり、2020年大学入試改革で、CBTはうまくいかないということを暗に示唆している。技術的にPISAでできて、なぜ大学入試でできないのか不思議であるが、まあやらない理由をたくさん作りだしたいのだろう。
☆しかし、それが問題なのではない。問題は、国立教育政策研究所という文科省管轄のシンクタンクが、相変わらず次のようなグラフを出しているからちっとも解決につながらないのだ。
☆このレベルを「習熟度」と表現しているのだ。いったい何を表現しようというのだ。
☆PISAの報告書では、上記のようなカテゴリー表が翻訳されている。それをみると、要するに正答率だ。しかし、シンガポールでは、そんな分け方より、「知の深さ」で学びを行っている。おsらく英語版の報告書は、この「知の深さ」でデータ集計しているはずだ。
☆難易度の学びと知の深さの学び違いが分かっていないから伸びるはずの生徒の才能が伸びない。
☆そしてなぜ、リーディングリテラシーだけが「読解力」という翻訳になるのだろう。2015年のためのリーディングリテラシーのドラフトによると、リーディングリテラシーは、国語という教科の話ではなく、経済や政治が複雑になり、そこであふれている情報やデータ、理論を認識するだけではなく、クリティカルに考える「メタ認知」のスキルを示している。
☆それをなぜ国語の教科でやらなければならないのだ。国語の教師に自分たちが十字架を背負うと言わせているのはおかしいのではないか。
☆知の深さは考えるクライテリアという基準がある。これもちゃんと公開されている。ブルームのタキソノミーのアレンジ版であることはシンガポールをはじめ欧米の教師は当然知っている。
☆どんなに難問をトレーニングしても、それは解法上の難しさで、知の深さは中程度というのがある。逆に難問ではないが、深い知を使うこともある。
☆ということは、深いレベルの知をトレーニングしていなければ、シンガポールに勝てる(勝たなくてもよいのだろうけれど)はずがない。中程度の知の深さだけれど難易度の高い問題ばかりをトレーニングさせて、自分はできると錯覚させているのが現状で、情報を現場に伝えきれていないことこそが問題なのである。
☆単純にベクトルが違うのだが、違う方向で学んで、違う方向のテストを受けて、まともに評価を下されるのは、グローバルシチズンのためのPISAを使っていながら、アンフェア‐だろう。違うルールで学ばせておいて、それでありもしない「読解力」がさがったとかあがったとか・・・。
☆これを後押ししている教育関係株式会社の出す模擬試験のクライテリアは、いつも難易度。おそらく国立教育政策研究所もその影響をなんらかの形で受けているだろう。
☆税金を払っている一市民として、どうなのだろうと思わざるを得ない。ありもしない自己否定感の幻想を増幅しているのだから。それで、「日本の15歳の生徒はOECD加盟国の中で、自己肯定感が低いのだと。幻想をねつ造しておいて、だからダメなんだ。うちのテキストや通信制の教材を使ったら元気が出るよ」とは、教育の場を汚しているのではないか。
☆ふんだりけったりなのは、いつも小市民である。
| 固定リンク
「21世紀型教育」カテゴリの記事
- 石川一郎先生のメタファー対話(2021.08.22)
- 学習指導要領の再定義の必要鵜性?(2020.08.28)
- ホンマノオト21に移動します。(2018.07.25)
- 【CoMe世代】2006年以降に生まれた子供たちのためにヒューマン・プロジェクトを立ち上げよう。この10年間で、デストピアかユートピアかが決まるのだ。(2018.07.19)
- 【聖学院 生徒の未来を創るコンフォートゾーン(2)】(2018.06.28)
最近のコメント