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キャリアガイダンスVol.415「生徒が輝く学校づくり」

☆リクルートが発行しているキャリアガイダンスVol.415の特集「カリキュラム・マネジメントで生徒が輝く学校づくり」がまたまたおもしろかった。

☆同誌編集長の山下真司氏の巻頭言が実に寸止めが効いていて、現状のネガティブ面を回避した、学校応援歌になっているところがさすが。しかし、寸止めゆえに、そこから先に大きな問題が横たわっていることをしっかり暗示しているのである。

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☆だいたいカリキュラム・マネジメントで生徒が輝くというのは、えらいアイロニーではないか。それは、同誌に登場している荒瀬克己氏もきちんと抑えている。さすがである。

☆いつも輝いている人間はほとんどいない。日々苦悩し混乱し迷い自分の殻を破るにはいかにしたらよいのか疾風怒濤の内面を持っている。そんな生き様を輝いているというメタファーで表現したというのだろうか。比喩であることは間違いないと思うが、それはメタファーではなくアイロニーではないかと思うのだが、妄想かもしれない。

☆要するに山下氏は、にもかかわらず、生徒が輝く学校づくりに成功している学校のカリキュラムマネジメントとは何かを取材したい。そして、それを多くの学校の先生方と共有したいという強烈な意志をもっているのだろう。

☆そういうヒントや種が記事として吸い上げられているのは、荒瀬克美氏の記事、真庭高校、富士市立高校、三田国際学園高校の記事。これらの記事には、貫かれている共通の発想とその実践がある。ぜひ読んでそれは何か考えてみるとよいのではないか。

☆それから、これも山下氏の仕掛けなのだろうか、ちゃんとそれとは真逆の役に立たない方法を語っている記事も掲載。田村知子氏の話は、そうですね。で、どうするのというのが全くない。精神論で終わっていて、科学としての教育学ではない。

☆また、西岡加奈恵氏の、「アクティラーニングはあくまで手段」というのは?だ。授業の中でアクティブラーニングという手段を活用するというのは、何か養成ギブスでも生徒にはめさせるような感じで、私は受け入れられない。

☆この考えで行くと、アクティブラーニングのコアが対話ならば、対話も手段になってしまう。対話が手段=道具だとしたら、どんな社会ができあがるのか?損得勘定だけで、互いの様子をうかがいながら話す無信頼社会ができあがるだろう。

☆これはアンチ民主主義社会じゃないだろうか。ハイパーポピュリズムが生まれる土壌で、政治的に中立どころじゃない。

☆もっとも、今回の記事で私が合点がいった4つの記事は、その背景に関係主義的な思想がベースにあるだろう。これに対し、2人の教授の背景には、精神還元主義、道具還元主義という要素還元主義的な思想がベースになっているだけで、どちらがよいのかわるいのか、それは学校当局の意思決定の問題ということだろう。

☆ここ数年、いろいろな学校の先生方と生徒の存在そのものを豊かにするアクティブラーニング型授業づくりの対話(=ダイアローグとしての)を進めているが、基本はコルトハーヘン教授の「教師教育学」に拠っている。ただし、これはミレニアル世代や21世紀生まれの生徒には最適化しにくいので、2013年に公開されている2015年のPISAのリーディングリテラシーの考え方のドラフトと統合しながらやっている。それからハーバーマスとアリストテレスからはなかなか逃れられないでいる。

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☆どこでもシートとICTの両方を活用しながら対話をしていくのであるが、パラドキシカルなことに、いまここでのものすごい記憶力が必要になる。その場の記憶力と考える仕事の密度が高まれば高まるほど、極めて生徒の存在そのものにアプローチしやすくなる。記憶術と思考術は表裏一体だという実感。そして一体になった時、術から存在への扉が開かれる。

☆これがコルトハーヘン教授のいうところのリアリスティックアプローチによるリフレクションなのだと感動しつつ共有促進しているのだが、おそらくどこでもシートという積分とICTによる微分の脳内時空の統合がなければ、なかなか難しいだろう。

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