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2030年教育動向(19) 世界を創る学校 たとえば、工学院・聖学院・麻布・海城

☆工学院や聖学院のように不退転の覚悟で21世紀型教育を実施している学校、麻布のように普遍主義的教育を実施しているために、結果的に21世紀型教育力も発揮している学校、海城のように普遍主義的教育を実施しつつ、21世紀型教育も暗黙知としてではなくプログラムによって顕在化させて活力を増大させている学校。これらのタイプの共通点は、既存の社会の階層構造の中で椅子取りゲームに興じる人材を育成するよりむしろ、あらゆる分野でイノベーティブな起業家精神を発揮して世界を創る側に回る人材を生み出すことを理念としている。

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☆一方、20世紀型教育は、国家主導で造られてきた多様な階層構造の組織の中で、知識を競い、椅子取りゲームに興じる人材を輩出してきた。それはそれで、歴史的根拠があるわけだが、今やその階層構造組織が崩れ始め、学びの組織としてシフトしているわけだ。

☆だから、202世紀型学校で、未来を創る人材を育成するというビジョンを掲げたとしたら、それはたんなるスローガンにすぎない。

☆イノベーティブで起業家精神旺盛なクリエイティブクラスを時代が求めている人材である。そういう意味で、本当のこというと、20世紀型教育は歴史的な役割を終えたといいたいのだが、そこは防衛機制がまだまだ強い。生徒が集まるから集まらないから、大学合格実績がでるからでないからという議論自体、未来を創りたくなり理由にすぎない。

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(工学院の世界コード作成は、若手プロジェクトチームから端を発している。ボトムアップが稼働している学習する組織の面目躍如といったところだろう。)

☆どのようなタイプの学校を選ぶか選ばないかは、私事の自己決定であるから、どれがよいとかよくないとかいう問題ではない。ただ、一次元偏差値で選ばざるを得ない状況は、それ自体20世紀型教育の枠にはめることだから、多次元偏差値にシフトすることを認めないと、私事の自己決定ができる選択肢がないということも念のため知っておいてほしい。

☆多様な選択肢があるのに、その情報を知らず、椅子取りゲームという選択肢があたかもあるような状況に押し込むのだけは、子どもの未来創りのためには回避したほうがよいと思う。

☆さて、1人ひとりが世界を創る時代がやってくるのだが、世界を創るには、世界認識が必要である。ところが、20世紀は、その世界認識が俗にいう大きな物語に支配されていたか、その大きな物語が失われ個人個人の体験に委ねられるようになったかどちらかだった。

☆いずれにしても、世界コミュニケーションができる視野が広く、世界の痛みに気づく世界観にそれほど多くの人がいきつかなくても生活が出来る時代だった。

☆価値相対主義という名の、大量生産大量消費時代を支えたものの見方・考え方だ。この誰かにあてがわれた世界認識によって、世の中がどんな状態にならしめられてきたかについては、もはや説明するまでもないだろう。

☆そして、この状況をクリティカルシンキングできるのは大衆ではなく、知識人だった。だから、麻布や海城に勤務する教師は学問やリベラルアーツ的な発想で、生徒たちと読み解いてきた。しかしながら、学問やリベラルアーツをすべての教師が身に付けていたわけではない。

☆世間は、やはり大衆的発想で、本質とか世界のうちに顕れない向こう側の世界は、学者か詩人かアーティストに委ねられていた。しかし、その情報格差が、これまた大変な社会をねつ造してしまった。これについても、詳しい説明はいらないだろう。

☆だから、21世紀型教育を推進する学校はIBにおけるTOKというもともと哲学にルーツがある世界認識理論を学ぼうとするところが多い。

☆しかし、実際には、哲学的素養がないと、このTOKの理解はなかなか難しい。やはり一握りの教師と一握りの生徒しか見識を高めることはできない。

☆しかも、哲学と言っても、プラトンとアリストテレスでは発想が違うし、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルでも違う。英米系と大陸系でも違う。同じ啓蒙思想でも、ロック、ホッブス、ルソー、モンテスキューではまた違う。無限に違う。1人の哲学者を学ぶのに一生かかるのに、そんな探究活動は、学者でない限りやはり無理だ。

☆だから、哲学教室をやるときに、包括的な理論で立ち臨まないと、見識どうしの分断が起こる。これでは、やらないほうがましだ。世界認息も独断と偏見に陥り、劇薬になる。

☆しかし、世界認識がないと、これまた全体を俯瞰できずユデガエルになっていることに気づかない。なんというパラドクス。

☆そこで、聖学院のように世界思想でもあるキリスト教的視野を毎朝礼拝で学ぶ機会を設けているところもある。

☆そして、工学院のように宗教主義でないところは、工学的方法で、包括的な世界認識のコードを自らつくり、教師と生徒がシェアする探究活動を始めているところもある。これだと、哲学学者にならずに、広く高く盤石な思考の足場を築くことができる。

☆これによって、自分の思考の領域がかたよっていないか、次元が低くないかセルフリフレクションしながら、探究活動を行っていくことができる。この世界認識の足場を築くことこそ自分軸と社会貢献というman for others(MFO)の精神を豊かにすることができるのである。

☆こうして、世界を創る学びやプログラムを通して、かけがえなのない存在として、AIに支配されることなく、AIを活用しながら生き抜いていけるようになる。

☆思考コード、世界コードを構築している工学院は、あらゆる地球市民に開かれた学校として、公平で自由な精神を生み出していく未来を創る人材を輩出する拠点となろう。聖学院も実は、プロテスタンティズムを世界コード化すれば、工学院と同様、多くの地球市民に開かれた学校となる。両校が極めて親和性があるのは、潜在的な質が似ているからであろう。

☆それゆえ、2月19日、「新中学入試セミナー」における、工学院の太田先生と聖学院の児浦先生のトークセッションは、未来のケミストリーが起こる大切な時間となろう。

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