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21世紀型教育 Capitalism(資本主義)からCreativism(創造主義)へ 【02】

☆「脱鎖国史観」。そんな史観を、2020年以降の新学習指導要領において、文科省が本当に埋め込んでいるのかどうかわからないし、そうならないかもしれない。アクティブラーニングと同じように、別の言葉で覆われてしまうかもしれない。

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(1619年以降のオランダ東インド会社の拠点バタヴィアの都市)

☆しかし、一度世に出てしまったわけだから、それを考えていてる文科省の官僚がいるのだろう。アクティブラーニングという言葉が仮に消えても、その基本的な考え方は言葉を変えて存在し続けるように。

☆さて、「脱鎖国史観」とは、しかしながらそんなに重要なのか。おそらく、文明の陸地史観や文明の生態史観、日本ガラパゴス論などを支える史観が「鎖国史観」で、それらの考え方の前提になっている。これをぶっ壊そうとしたのが一時期流行った川勝平太さんの文明の海洋史観。まさに「脱鎖国史観」であるが、その後広がりをみせていない。

☆ともあれ、文明の海洋史観以外は、日本の後進性を支える考え方で、そこから社会進化論的な発想、つまり優勝劣敗論が明治維新以降の官僚の考え方だった。

☆戦後直後日本は、啓蒙思想的な人類普遍の原理を導入するも、昨今の新自由主義的な発想は、再びそれを一掃しようとして躍起。そんな中で、文科官僚の中にその偏向された社会ダーヴィニズムを払拭するべく「脱鎖国史観」が存在するとしたら、それはすさまじくおもしろいことが官僚内部で起ころうとしている、いや起きているのかもしれない。

☆高校入試に象徴的に表れているように、学歴社会の再分配システムこそ、何を隠そうこの優勝劣敗論が背景にある。それを払拭しようということか。

☆社会進化論は、法律進化論となり、明治維新の法典論争となって、今に続いているわけだ。もちろん、戦後そこにくさびをうつために現行憲法や教育基本法が制定されたわけだが、すでに教育基本法は改正され、憲法もどうなるかわからない。まさか人類普遍の原理は蒙昧だと捨てられるわけではないだろうが。。。

☆いずれにしても「鎖国史観」は、明治維新以降の官僚近代国家路線では必要だったのだろう。しかし、近年どうもそれは怪しくなっている。

☆そんわけで、私の1週間の旅は、ジャカルタの海に接している北部エリアの海洋博物館を訪ねるところから始まった。人口密集でごった返しているジャカルタの中心エリアに比べて、観光地であるにもかかわらず、閑散としているスペースだった。もはや歴史から忘れ去られているのではないかと思われるほどの観光エリア。

☆しかし、一歩踏み入れると、そこには上記の図が大きくディスプレイされていた。なぜ長崎の出島がここにあるのか?いやニューアムステルダムの絵か?一瞬とまどったが、これがあのオランダ東インド会社の拠点バタヴィアの都市の図なのである。つまり、ジャカルタの地。実はこのジャカルタという名称は第二次世界大戦に日本軍が占領したときに命名しなおした。

☆日本の官僚近代路線の光と影がここには今もある。世界地図に刻印されている。わたしたちは、それをいかにとらえかえすか迫られている。「鎖国」という言説をなくすことで、まさかそれをニュートラルな命名としてみなしてしまうことにならないかと一瞬考えたが、それよりも「脱鎖国史観」ととらえた方が、歴史そのものの見方をグローバルな気づきとしてシェアできるかもしれない。

☆それは、ともかく、1619年以降着々と国際自由都市が建設されたのだろう。東インド会社とは、歴史上初の株式会社。それまでは、スペイン・ポルトガルの帝国がヨーロッパを支配していた。軍事力によって。しかし、オランダとイギリスの東インド会社によって、市場経済力が世界を席巻するようになる。

☆軍事力から経済力へパラダイムシフトしたその象徴が上記の写真である。そして、この一枚の絵が、日本の官僚近代国家路線の前提だった「鎖国史観」を揺るがすのだ。

☆オランダは、いきなり1619年にバタヴィアを建設したわけではない。その前からリサーチしに来ている。もちろん、そう簡単ではなかっただろうが、スペイン・ポルトガルの大航海イノベーションを活用してやってきたのだ。

☆そして、実は1609年すでにできたてほやほやである江戸幕府、つまり家康に謁見している。1641年にある意味オランダが日本との貿易の独占権を得たかのように、長崎の出島に平戸から移動するまで、しばらく時間がかかるが、その前からすでにのバタヴィアからオランダは日本にやってきて貿易を開始している。

☆もちろん、純粋に市場経済を広める意識はなかっただろうし、常に他国の軍隊や海賊たちから身を守るために軍事力も携えていた。バタヴィアも城を築き、城壁で都市を囲んでいる。

☆中世ヨーロッパの自由都市さながら。そこでは遠隔地商人が、軍事力と自由経済の両方を求めて遠隔地の商品を都市で売りさばいていた。

☆つまり、そこでは、すでに貨幣経済が成立していて、価格も市場経済で決定されるのか都市当局が決めるのか、自由か規制か大問題となっていた。13世紀中世こそ、資本主義誕生のプロトタイプが生み落とされたのだ。というのが、シュンペーターであり、マルク・ブロックの脱中世暗黒論だったわけだが、どうやら脱鎖国史観も、この発想につながっている。

☆江戸という近世は、鎖国の中でガラパゴス的な日本の文化を醸成させたというような発想ではなく、すでに近代経済が生まれるや否やすぐにそのネットワークの中にあったのであると。

☆ヨーロッパの近代文明が明治期に鎖国を解くことによって、シルクロードや海を超えてようやく届いた。後進国日本は、欧米列強に追いつけ追いこせなのだという考え方が崩れる。

☆追いつけ追いこせ!優勝劣敗!という発想を支える前提が消失すると、なぜ日本に資本主義が発達したのかが素直に見えてくる。

☆大航海時代、ルネサンス、宗教改革、産業革命がヨーロッパで起こり、日本では文明の質の革命が起こっていた。これらは、実は、当時まで、その歴史的変遷は紆余曲折するも軍事力・経済力・技術力で絶対的脅威だったのは、中国やイスラムの文明であり、そこと対抗してできあがていたのは、ギリシア文明である。広く言えば、すべてアジアである。

☆この大帝国の脅威から身を守り、そこの技術や物産を獲得すためのもろもろの革命が16世紀から始まったのだが、生き延びるにはイノベーションを起こすしかなかった。それがもろもろの革命の意味なのである。

☆そして、日本はすでにオランダ、イギリスが近大資本主義を動かし始めたとき、アジアの一大帝国の脅威から身を守るべくその近代資本主義ネットワークのメンバーになっていたのだ。

☆日本は、あらゆる文明の技術をさらに質的に向上させるイノベーションを江戸期に起こしていた。エコ都市というイノベーションは、欧米は実は明治の日本に学んだのではない。近世江戸文化から学んでいる。ある意味、ユートピアの発想は江戸にあった。もちろん、封建的社会だから、回帰しようという気はさらさらないが、そこにイノベーションがあったということが肝要だ。

☆オランダやイギリスの近代資本主義のイノベーションはこうして軍事力と市場経済のカップリングを生んだのだ。市場経済を根付かせることによって、軍事力をなるべく使わないようにする永遠平和論がカントによって展開され、その賛否はあるが、今もその発想は生き続けている。

☆戦後、日本はこの永遠平和論を強く押し進めてきたが、昨今どうも雲行きが怪しい。官僚は永遠平和を維持すべく、教育改革をはじめているのだろうが、イデオロギーとして偏向されるリスクを回避すべく、静かに水面下で事をなしているのだろう。優勝劣敗という強欲資本主義への規制ではなく、創造的破壊という資本主義への自由の重視。これが「脱鎖国史観」の本位なのだろう。

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