かえつ有明に期待がかかる<わけ>
☆しかし、この両者の葛藤を乗り越える内省的共感的コミュニケーションが学内にある限り、むしろ良質の教育エネルギーを生み出す。
☆というのも、ダーヴィニズム的教育路線は優勝劣敗という格差主義を生み出すリスクがあるし、ユートピア的教育路線は、つねにユートピアのヤヌスの側面であるディストピアを生み出すリスクがあるから、互いの負のリスクを打ち消し合い、正のエネルギーを増幅させることができるからだ。
☆3月4日夕刻に訪れたとき、新中1のガイダンスを終えて、新中1担当の先生方が集まって、シラバスのイメージのすり合わせを行っているところだった。いつものワークショップ型ミーティングのスタイルでで行っていた。
☆シラバスというと、すぐに配列表を想起し、そこにやらねばならないことがぎっしり詰まっているというイメージがある。一方でシラバスが学びの自由を確保する契約書としてのイメージもある。
☆その両極を振り子のように行ったり来たりする。わくわく感がいつの間にか枠枠感になってしまうこともしばしば。そんなとき、閉塞感を一掃するアイデアが各チームでおきた。
☆昨年の夏から新中1チームは教授法のスキル研修をやってきたが、そのスキルのうち、学びのパターンを思い起こし、まずやってみようからスタートするシラバスにしよう、イメージをふくらますところからシラバスをはじめることにしようという議論の渦が広まった。
☆そして、必ずチームは互いにフィードバックして、気づきを得る機会を設ける。その過程で、調べたい、覚えたいというモチベーションが生まれるようなスキルはたくさんあるから、その機会をこまめに回し続ければ、中1でやる予定の単元や知識は、むしろ足りないぐらいになる。
☆足りない。そう未知との遭遇が欲求を生み出すのではないかと、学びの体験のサークルの連続体が各チームで見える化されていった。
☆しかも、教師も生徒も未来との遭遇となるようなシラバスだといいねと、急激にオープンマインドが広がった。
☆それでいて、「苦しい」から「楽しい」へのシフトについて、哲学的な話で大いに盛り上がったりした。
☆とてもいつものクリティカルシンキングを実践しているときの表情とは思えない。
☆シラバスの話がこんなに楽しいなんて!何この満足感!とストレートな気持ちが飛び交った。
☆結局、シラバスやクリティカルシンキングが生真面目で硬いものなのではなく、一般的な考え方に縛られていた自分たちの問題なのだと気づいたということだろう。
☆かえつ有明に期待がかかるのは、このような先生方の気づきの共同体があるからだ。もちろん、この共同体は、ユートピア路線である。それゆえ、ダーヴィニズム路線と常に一戦交えなければならない。
☆しかし、その都度先生方のマインドは大きくなるだろう。だからこそ、生徒たちも大きく成長するのである。そのようなマインドと共鳴共振共感するからだ。主体的で対話的で協働的な深い学びのある学校。それが今のかえつ有明である。
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