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栄光か聖光か?

☆なぜか2015年3月13日(金)の記事「2015大学合格発表の季節(05) 栄光と聖光の逆転の意味 神奈川エリア衰退の道をつくっている」の今月のアクセス数が多い。2年前の記事だが、本ブログで栄光と聖光をセットで書いている記事がこれぐらいだからかもしれない。

☆同記事の内容に関して、大筋の考え方は変わらない。むしろ、次のように書いたところは、ますます信ぴょう性が帯びてきた。

21会(当時。現在は「21世紀型教育機構」)がまず渋谷教育学園グループのように教育イノベーションの衝撃を与え続けるだろうし、開智グループが渋谷教育学園グループのようになる。同じことが栄東グループにも起きる。

☆さらに両校の差異が明快になってきた。「カトリック精神vs合理的精神」「共同体重視vs個人の価値優先」という2軸で比較すると、両軸とも両極に位置することが、広く市場でも了解され始めている。

☆聖光が自らを「東大依存型学校」と標榜することによって、ある意味、世俗的で合理的な精神の極に寄ったことを宣言した。それはまた、個人の価値意識を大切にする極にも寄る。

☆昨今の百貨店の社長解任劇のように、老舗の心を守り続けていてはなかなかうまくいかないという合理的計算は、新自由主義のご時世では、当然だろう。

☆しかし、栄光は百貨店に置き換えることは不可能な教育団体だから、そのようなメタファーはカテゴリミステイクだろう。第一、本来的カトリック精神、とくにイエズス会は極めて合理的な修道院である。実際には、この2軸では分けられない不思議なところがある。

☆その不思議さに憧れるか、明快でないと合理的という名の正解主義に流れるかは、選択者の私事の自己決定だし、市場の問題だろう。

☆しかし、その市場が新自由主義的であれば、これからの時代は、それを求めない。老舗のこだわりではなく、普遍主義のこだわりが、時代の変化に翻弄されがちな世間の光となるときがある。

☆今、栄光は、その時を迎えているような気がしてならない。

☆東大の実績推移がそれを物語っているとはとても言えないが、2012年→2013年→2014年→2015年→2016年→2017年と推移をたどると、

栄光:70→51→63→43→57→62

聖光:64→61→70→70→71→69

☆論理創造主義の栄光と知識論理主義の聖光。結局、東大の一般入試は、論理的思考がメインだから、逆転というようなことは実はない。2015年当時の数字のギャップが大きかったので、「逆転」という扱いにしただけだろう。

☆となれば、あとは教育の質の違い、価値観の違い、それぞれの未来予想の方法の違いで選択は決まってくるだろう。

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