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2018年中学入試のベクトル【10】 東洋大学京北と女子学院

☆東洋大学京北と女子学院という比較が不思議な方もいるかもしれない。しかし、両校とも19世紀末、つまり明治の時代の初期の段階で創設された学校なのである。それぞれ紆余曲折しながら今日まで隆々と続いている。

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☆これは1つの奇跡だ。山あり谷ありの学校経営を、その都度立て直し、生徒募集において盤石な基盤を築き上げた両校。それはいったいなぜか?

☆100年以上の歴史を顧みれば、偏差値や大学合格実績は、実は本筋ではない。1986年から始まった中学受験の大衆化において確立されたのが、この二つの指標で、その役割は極めて限定的だ。

☆100年以上の持続可能性の理由は、100年以上続けてきた普遍的な教育にこそある。

☆東洋大学京北の創設に影響を与えたのは井上円了。仏教哲学者で、その当時から世界精神と結びついていた。そして、学校では彼の思いを「哲学」という形で教育の中に定着させ、そのエッセイを書く学びがずっと行われてきた。

☆この哲学教育が、2020年大学入試改革に伴う学習指導要領が打ち出した「主体的で対話的な深い学び」とシンクロし、一躍脚光を浴びた。三年間で中高6年間の完全共学化を果たし、来年以降はおそらく徐々に完全中高一貫化への道を歩むことになろう。

☆一方女子学院の創設に影響を与えた矢島楫子は、プロテスタントの信者で、これまた麻布の江原素六がリスペクトしたように、世界精神と結びついていた。そして、キリスト教が大切にしているロゴスを創設以来、日々の教育の中に貫徹させてきた。

☆礼拝ばかりではなく、生徒は世界の痛みを取材し、自分軸と貢献の両ベクトルの葛藤を乗り越えていく場として、論文編集の学びの機会が数多くある。ここまでは、東洋大京北と共通している。

☆しかし、女子学院のさらに傑出しているところは、編集した論文をもとに物語に転換する創造的プログラムが存在することだ。

☆「主体的で対話的な深い学び」などというどこか中途半端な文言よりも、世界の痛みを創造的に問題解決するロゴス化とアート化という女子学院の教育こそが持続可能の重要な要因ではあるまいか。

☆そしてこの違いは、男子校と女子校の違いであり、東洋大京北が共学化することによって、ようやく女子学院のような創造的問題解決のプログラム開発に挑む機会が訪れたことを示唆する。こうして両校の歴史は続くわけである。

☆ただし、本来ロゴス化とアート化の両方が女子学院のように必要だったのに、いつのまにか男子はロゴス化、女子はアート化となってしまった。そして、両方あって2つは生命が豊かになるのに、分断されてそれぞれ形骸化への道をたどる。それが現在の私学危機を生んでいる。

☆男子校や共学校に比べ、時として女子学院のように突き抜けた教育を行っているところは、その本来的なロゴス化とアート化の両方が存在し、統合されている。

☆こういう見方からすれば、そのどちらか一方しかない学校は、偏差値や大学合格実績で補完してきたのだということになる。

☆ロゴス化あるいはアート化しかない学校が、偏差値や大学合格実績なんか関係ないのだと訴えても、市場に響かない理由はここにある。東洋大京北の歴史と女子学院の歴史の比較研究は、私立学校の役割を考えるうえで、非常に参考になる。

☆なお、この比較研究の着想を得たのは、昨夜首都圏模試センターの北氏と山下氏とブレストをしたときに湧き上がってきた。この場を借りて、両氏に感謝いたします。

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