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かえつ有明 私学革命の先頭に立つ【01】

☆かえつ有明は、ついに私学革命ともいうべきパラダイムシフトの先頭に立った。システム思考もデザイン思考も超えて、パターンランゲージという実践知による学びをスタートさせる。もはや、ルーブリックも思考コードも不要という境地。

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☆昨今ではアクティブラーニングが盛んに研究されているが、その活動が、実に機械的で、自然体でないものが多い。どこか無理がある。

☆それは、幼子が、1人でトイレにいけるようになるのに、試行錯誤がしばらく続き、いけるようになると、何の苦労もなくスムーズにいけるようになるのと同じ過程をたどっているかのようだ。

☆つまり、今はまだアクティブラーニングの試行錯誤期間で、アクティブラーニング型授業がスームーズではない。

☆ところが、かえつ有明では、アクティブラーンング型授業は、自然体で、つまり普通に行われるようになる。今年度から高校はすべての学年でプロジェクト科クラスができ、アクティブラーニング型授業が高校でも広がる。

☆新中1は、すべての授業でアクティブラーニング型授業を行うことになった。オリエンテーションからすべてのプログラムがそうなっていて、実に自然に共感的コミュニケーションを土台とする主体的で対話的な深い学びができるマインドセットができた。

☆さて、このマインドセットだが、一方通行的な授業では、もちろんできない。かといって、対話をすればできるというわけでもない。もちろん、対話によって多くの場合マインドセットができるのであるが、マインドセットが出来ている場合、対話以上の構え全体がそこにある。

☆この対話をしながらも構え全体があり、その全体にすっぽりなじんだとき、マインドセットが行われる。かえつ有明では、その構え全体を、「じゅぎょうデザインパターン」と呼んでいる。

☆このパターンは、20世紀末の現代思想(つまり21世紀のパラダイムビジョンの礎)にもっとも影響を与えた建築家クリストファー・アレグザンダーのパターン・ランゲージの手法を応用した。

☆すでにこの手法をソフトウェアー作成やプレゼンテーションやアクティブラーニングの仕組みを解明するのに応用しているSFCの井庭教授との出会いが大きかったと金井先生は語る。

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☆そして、金井先生と佐野先生と篠原先生が中心となって2つのプロジェクトチームが協働して形成した。毎月のようにワークショップ型の研修を行い、夏には合宿先で語り合った。

☆分析的認識知でもなく道徳的判断知でもなく、身体知でもない。20世紀現代思想は、これらをめぐって論争が舞い上がり、これらを横断する知は何かという模索が続いたが、ついにそこに到らなかった。

☆なぜなら、今までの試みは、選抜されたある程度専門知が確立した大学生以上が対象だったから、その段階ではすでに分析的な専門知が必要だったから、先の3つの知をわざわざ統合する必要はなかったのである。

☆ところが、中高時代というのは、精神も身体も知も感情も疾風怒濤の時代である。まだまだ未分化状況だが、分化が始まり、ふつふつと多様な知がわきあがっている真っただ中にいる。存在の生成時期と言っても過言ではない。

☆さて、そのときに、いったんは分化しながらも、どこかのタイミングで再び統合し、まったく別の変化した存在となるには、中高時代の学びが、分化と統合の両方のダイナミズムを経巡る学びの環境でなくてはならない。かつては、リベラルアーツがその役割を果たした。

☆そうなってくると、その環境は実にスリリングになる。それゆえまるで冒険物語のように、あるいはSF超ファンタジーのように、楽しい学びの環境となる。

☆さて、その分化と統合のダイナミズムは、授業の構成要素の一部を活用していたのでは、立ちあがらない。知識が大事だから、それをまず覚えようというのは、授業の構えのパーツに過ぎない。

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☆知識をインプットしアウトプットするパーツも当然埋め込んである、構え全体。つまり、「じゅぎょうのデザインパターン39」の複雑な組み合わせこそがポイントなのだ。

☆このパターンの組み合わせを、アクティブラーニング型授業では、生徒の状況や反応に合わせて瞬時に最適化する。知と精神と身体全体をつなぐ脳髄や神経系や血管が電気を発し、ドキドキしながら循環し、学びを豊かにしていく。

☆かえつ有明は、ここまでくるのに、「知のコード」をつくり、思考力入試を行い、クリティカルシンキングという思考力革命を起こしてきた。それらが全体の構えとして39のパターンと化したのだ。1つひとつのパターンをどうつくるのか?そういう分析的認識論はとらないのが、今のかえつ有明だ。

☆だって、それはできてしまうのだ。そこから出発できる。もちろん、そのパターンがうまく機能しているかどうか気になるところだが、従来型の評価は不要なのである。なぜなら、それはともにいる生徒の様子ですべてわかるからだ。

☆とはいえ、大学入試もあるし、定期テストもあるから、そのレベルでの評価はある。しかし、その評価は全体の構えを評価するわけではない。その一部にすぎない。そんなのは勝手にやればよい。全体の構えに影響しない程度の評価であれば、問題ないのだ。

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