« 2018年中学入試のベクトル【23】 生まれ変わる実践女子 | トップページ | 2018年中学入試のベクトル【24】 海陽 新たな教育のモデルの完成へ »

「グローバル高大接続準備教育」いよいよ新たな地平

2017年5月27日(土) 第2回21世紀型教育機構シンポジウム を開催するにあたり、資料を作りをはじめた。

Gpe1

☆わずかA4用紙4ページ(表紙含む)ほどの資料であるが、まとめながら、いろいろな思い出がよぎる。もちろん、その成果のほんの一部しか書けないし、東南アジアのクリエイティブクラスは、もっと先を行っていて、なんとかそれをつかみたいのだが、なかなか日本の現状では難しいというところで、歯がゆさも感じながら作業している。

Gpe
(今のところ、当日定員200名分だけ用意する予定でいる。ちょっと新しい発想もあるため、今後の市場動向の様子をみてから、改めて21世紀型教育機構のリーフレットに盛り込むかどうかなど理事会で検討してから同機構サイトでは公開したい。)

☆しかしながら、一方で盟友鈴木裕之氏とようやく21世紀型教育機構のWeb上での支援や「グローバル高大接続準備教育」の本邦初の画期的なサポート体制もできつつあることを確認しながら、共に編集作業をすすめている。もちろん、Web上で。

☆作業をしながら、1990年代初頭にイギリスのウェルズにあるアトランティックカレッジ、パブリックスクール、ヨーロッパのリセ、ギムナジウム、ミュンヘンのシュタイナー学校、フランスのモンテソッリー学校を、20日間くらいで見学しに行ったときのことを思い出したりした。そのときから、教育の質というのをどう考えたらよいのかモヤ感が広がりっ放し。

☆私の中で、PBL型授業の発想と実践は、そこから始まったが、そのときは学校という場ではなかったので、「コード」という知の構造をどうカリキュラムの中に埋め込み、イギリス、フランス、ドイツでみた知の奥行きを子どもたちの頭脳に宿すかが精いっぱいだった。

☆1999年になると、当時の同僚岡部氏に導かれて米国西海岸に行った。彼の母校UCLAの図書館で、デジカメを使って歓迎されたのを憶えているが、米国の大学の学びの分厚さに圧倒された。

☆岡部氏が、UCLAで学び卒業することができた実態を目の当たりにし、やはりこれも日本に持ち帰らねばと思ったが、実はこのときに氏の通っていたコミュニュティカレッジにも連れて行ってもらったのは、今回のグローバル高大接続準備教育のヒントになっている。

Photo
☆それからしばらく2007年まで、岡部氏とハーバード大学やMIT、スタンフォード大学を訪れて、シラバスというものの本質を学んだりしていた。そして、そこに接続するプレップスクールやホームスクール、チャータースクールなど、市場経済と教育というテーマでリサーチもした。

☆チャドウィックスクールやハッピバレーというプレップスクール訪問で、PBLは確信に到った。特にAPの授業を見ながら、プレップスクールという意味が、高大接続準備教育であることを実感した。

☆岡部氏とは、同時並行で、ストラスブールのリサーチにも行った。そこで出会うのが欧州評議会とかEU議会につないでくれた方々。多言語主義とCEFRの動きを知り、フランスは、氏とは2010年ころまでたびたび訪れた。ストラスブール大学の日本語学科の学生や大学院生からフランスの政治経済の危うさを議論するとともに、CEFRの実態を教えてもらったりした。その合間にヘルシンキにもリサーチに行った。

☆ディスカッションの重要性をそのとき確信したが、岡部氏はプラグマティックなヘーゲリアンウェイを提唱していたから、フランス哲学とはまた微妙に差異があり、それを感じることができたのが、今哲学対話を幾つかの学校で行う土台になっている。

☆国際バカロレアではなく、フランスのバカロレアシーズンに訪ねたから(渡航費が安い時期)、入試制度と高大接続のヒントもそのとき得た。

☆岡部氏の影響で娘はすっかり世界をかけめぐり、彼女に導かれて世界の情報を今も得ているし、東南アジアのクリエイティブクラスの若者とも対話する機会をもらったりしている。アートとエンジニアリングの化学反応を目撃して感動もしている日々である。

☆かくして、日本語一本で、リサーチを続けてきたが、PBLも高次思考もディスカッションもCEFRもホームスクールもチャータースクールもプレップスクールも世界大学ランキングの高い大学も実際に立ち会えたことがグローバル高大接続準備教育を行っている21世紀型教育機構の先生方と共鳴共振共感できる経験値なのかもしれない。

☆岡部氏と世界を巡っていた間、一方で、私は、伊藤忠や清水建設のメンバーと出会い、タリヤセンウェストのリサーチやイサムノグチのリサーチに駆り出された。ベルリンに岡部氏と立ち寄ったときには、バウハウスにも行ってみた。もちろん、フランスとドイツを訪れたとき、第二次世界大戦の爪痕について市民と語らないときはなかった。それが、ヒロシマ・フクシマをどうとらえるかにつながり、今もまだ対話は続いている。

☆川勝平太氏を取材し、レッチワースと五島慶太の田園都市株式会社という東急のルーツに行きつき、なんと田園都市線や東急沿線の私立学校にも結びついていったりした。≪私学の系譜≫というところに行きつくが、そのとき出会ったのが麻布の前校長の氷上先生。≪私学の系譜≫のルーツをどうとらえるかがライフワークになったのもこの時期であり、グローバル高大接続準備教育が私立学校から始まる予感はそのときもよぎった。

☆そんなこんな対話を岡部氏とし続けていたときに、氏が見つけたのがリチャード・フロリダのクリエイティブクラス論だった。当時は邦訳はまだなかったから、氏に導いてもらった。ただし、岡部氏は、もっと過激なクラス論だったから、氏の新しい市民論はフロリダ教授からは離脱していったが、私の方はフロリダ教授の本に魅了され続けた。

☆二人は、2012年に別々の道を歩くことになったが、その直前は、OECD/PISAの研究をした。それまでの欧米の学習を見てきた経験が、そのPISAの分析には大いに役に立った。世界標準のモノサシはすぐにデザインできた。

☆今、岡部氏はある学校で最先端のグローバル高大接続準備カリキュラムシステムをデザインし、実際に運営している。

☆一方私の方はグローバル高大接続準備教育を一般化しようとしている。そのとき岡部氏と共通して出遭った若きエンジニアの力が必要となる。また福原氏や鈴木氏とWebベースの学習履歴やリフレクションシステムも構築している。プロトタイプはできているから、あとはプロダクトするだけだ。

☆ここまでくれば、21世紀型教育機構加盟校のグローバル高大接続準備教育のサポートシステムはなんとかなるのではないかと思っているわけである。

☆もはや、CEFR基準のC1英語教育だとか、PBLだとか、タブレットだとか、哲学授業だとかは、まったく当たり前のことで、グローバル高大接続準備教育という大きなシステムに内包される要素となった。

☆実際、岡部氏自身は実践に移している。氏自身の授業は、C1英語だし、PBLだし、タブレットは当たり前だし、哲学授業はエスノメソドロジー的過激さがあるけれどやはり当たり前といった授業が展開している。それにプラスアルファーでWebベースの学習ポートフォリオシステムの形成が着々と試作/思索されている。

☆私の方は、石川先生と鈴木氏と「ドラゴン計画」というまた別線でも展開している。

☆しかし、これらはすべて、岡部氏にとって、1999年ロサンゼルスで、ノートパソコンとデジカメを持ちながらリサーチしたときに生まれた着想の1つの実現に過ぎないのかもしれない。

☆今編集している資料には盛り込めない話を番外編で長々と綴ってみた。ここまで読んでいただいた方には、心から感謝申し上げる。

|

« 2018年中学入試のベクトル【23】 生まれ変わる実践女子 | トップページ | 2018年中学入試のベクトル【24】 海陽 新たな教育のモデルの完成へ »

21世紀型教育」カテゴリの記事