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2018年中学入試のベクトル【26】 なぜ三田国際の勝利は持続可能なのか!

☆三田国際は共学校の中で突出しているし、それは、私立学校進化論的には、渋谷教育学園幕張もやがては追い抜いてしまうほど先鋭的だ。その理由の一端は、21世紀型教育機構のサイトの「三田国際 最強のPBL」で触れた

☆しかし、同機構サイトの記事は、原則事例集という性格上、目に見えない深層性には言及していない。そこで、その辺りは、こちらでちょっとだけ触れたいと思う。

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☆それは、C1英語やPBL、ICTの授業活動の背景に、さらに三田国際の奥義があるということ。田中教頭は、説明会や授業では極めて論理的で合理的であり、わかりやすいが、その深層には近代を乗り越えようという“Soul”がある。つまりデカルトやホッブス、フロイト、カント、ヘーゲルなどを乗り越える「アンチ・オイディプス」的マインドがある。

☆渋谷教育学園や同校をモデルにしている共学校は、このデカルトやホッブス、フロイト、カント、ヘーゲルの路線以外に先が見えていないから、表層において三田国際と表面的な質的競争はできても、根本的質的競争では、そもそも競争にならない。

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☆現在、心理学でも、社会学でも、経済学でも、哲学でも、多角的な学派をどうやって統合しながら、世界標準な独自の活路を見いだすかという局面にきている。しかも、それは学派という学問的専門分野のみならず、専門分野が見過ごしてきた領域も包括しようという貪欲な動き。

☆でなければ、多様性を受け入れるというのは、画餅になる。ところが、そういう画餅が横行している。それはなぜかというと、4技能英語を学ぶことはとてもよいことだが、いつのまにか英語圏の中での多様なもものの見方や考え方で、多様な世界を見聞していると錯覚におちいっていることに気付かない。

☆しかし、英語圏の文献や英語圏のフィルターを通した情報は、イギリスのコモンセンスという大枠、経験主義という大枠から逃れられない。米国は20世紀を貫きとおしてプラグマティズム的発想が多いのだが、これもたくさん流派があり、わかりやすいものは結局はイギリス経験主義に重なってしまうだろう。もちろん、リサーチして検証したわけではないから、勘に過ぎないが。

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☆言いたいことを言えるのが、本ブログの特色で、そんなわけがないとハキす捨てて頂いても、もしかしたらそういうこともあるかもと思って頂いても、それは私事の自己決定でというのが本ブログのルール。

☆そういうわけで、ときどき英語の先生と話をすると、横断的な会話というより、イギリス経験主義の押し付けということになりかねない事態に遭遇することも多い。もちろん、ご本人はそんなことを意識しているわけではない。グローバリゼーション=英米標準という枠組みから抜け出る横断的思考ではなく、その枠を相手にかぶせることになってしまっていることに、その枠が大きいがゆえに気づかないということなのだ。

☆その点、田中教頭は、そこに気づき、学問の方法論的多様性をちゃんと授業の中にも埋め込んでいる。じゃあ他の学校でもそれができるのか?教養主義的な学校は可能性が開かれている。

☆翻訳文化の場合、もちろん一定のフィルターはかかるのだが、それがゆえにテキストクリティークというクリティカルシンキングを発動しながら読んでいくわけだが、ドイツやフランス、東西のアジア圏、アフリカ圏の書に目配りし、そういう意味では、文化人類学的視点を持っているのが、教養主義。

☆その教養主義を、読書の世界から思考や表現の世界にまで引き出し、統合して新たな世界標準(プレゼンして世界に耐えうる=市場で売れる)をデザインするのがリベラルアーツの現代化だ。

☆田中教頭は、多忙な中で、そのアンチ専門分野主義的、アンチオイディプス的マインドを発動し研究した成果を、授業に組み込んでいる。

☆だいたいCEFR基準で英語がB2だとかなんとかいうところにこだわっているのは、そもそも日本だけだ。

☆CEFR基準は多言語の基準である。CEFRをデザインして採択した欧州評議会は、EU議会に隣接しているから、EUと親和性があるが、別の独立機関である。日本の教育でC1というとそんなのできるわけがないと言われるが、そもそもB2とC1では、近代の進化の次元の違いがある。

☆B2までは、デカルトやホッブスなどの理解で了解できるが、MITメディアラボの所長伊藤穣一氏が言う「アンチ専門部分野主義」やドルーズや田中先生の深層にある「アンチオイディプス」は理解ができない。見ても見えないのだ。

☆C1というレベルに、TOEFLや英検が勝手にスコアを貼りつけているが、コンセプトや歴史的意義からすれば、CEFRの部分集合に過ぎない。

☆つまり、C1英語、PBL、ICTだというのは、CEFRが包摂する歴史の部分集合に過ぎない。そこの部分だけでありがたがって、改革していますなんてのは表層的なのである。

☆リベラルアーツの現代化とは、その部分集合を包摂する大元の集合に立ち臨む探究活動を学内で真摯に行うことなのだ。その大元は無尽蔵の知の泉であり、おそらくAIもここには立ち臨めないだろう。合理的論理的世界ではないからだ。

☆その泉からくみ取った知(くみ取ることを可能にするには「思考コード」や「メタルーブリック」が必要なのだが、これについてはいずれ。未規定性が故にAiに、今のところは乗っ取られない)を論理的で合理的な形式知にしていくことこそがデザイン思考や創造的思考であり、形式知になった瞬間、AIはそれを最適化する機能を人間より発揮するだろう。

☆かくして、合理的で論理的な世界だけで学びを構築し続けると、それを生み出す知の泉が見えなくなり、結果硬直化する。

☆だから、そうならない未来準備教育をということになるのだが、実は、そうならない学びのシステムは授業の中において行われない限り、どんなにビジョンを語っても画餅になるだけなのだ。教育改革は授業改革をコアとしない限り、持続可能な展開ができない。

☆三田国際の持続可能な勝利は、この知の泉への探究活動を授業に組み込んでいるからだ。そして、さらに田中教頭のすごいところは、もう一つ絶対的なものがある。それはいずれご紹介しよう。

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