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21世紀型教育における教師のポジション クリエイティブスクエア

☆21世紀型私学人の授業を見ていて、21世紀型教育における教師のポジショニングがイメージできた。詳しい説明は、今後行っていくとして、だいたいこんな感じになった。Photo

☆横軸は教養主義のあり方。縦軸は対話のあり方。すると、20世紀型教育における教師は、教師同士、教師と生徒の間は、抑圧―被抑圧の関係にあるから、自身に教養があまりない教師は、表向きはイエスマンだが、内面はストレスがたまり、そのストレスを発散するために、いろいろな転移が起こる。

☆また、教養がある場合、役職があろうがなかろうが、権威主義的な言動が多い。この分類は教師に限ったことではないが、学校という環境の中での話なので。

☆そして、今この教養主義を脱しようという流れが起こっている。どうしても教養主義は、ギリシャ哲学からカント・ヘーゲル・ハイデガーくらいまでの思想が根底にあるが、ここからいったん離脱し、新しい思想に転換しようという動きが各諸で起こっている。

☆これは書籍のあり方や取り扱い方の動向を見ていればわかる。教養主義は、20世紀の知を育み、近代の光と影を明晰にし、なんとか影を解決しようとしてきた。しかし、実際には、それは難しかった。

☆にもかかわらず、教養主義は、教育においては、新しい世界を創る壁にもなっていた。文化を保守する重要な役割も果たしてきたが、次の文化を生み出そうとするとき壁になった。

☆それが、少なからず、書籍文化市場のあまりうまくいっていない状況を生みだす原因にもなっているかもしれない。当然、学歴主義の土台でもある。

☆だから、若い教師が学校に入ってきたとき、若いがゆえに読書体験も少ないわけであるから、教養を積むまで、長い修業時代を経なければならなかった。

☆その学校が、20世紀型学校であったとしたら、権威主義的教師に抑圧され、教養で対抗できないために、イエスマンにならざるを得なかった。高ストレスの日々を送る。

☆これに対し、21世紀型教育の学校は、まず共感的コミュニケーションを大切にするから、教養主義の教師は尊重される。若い教師もなんとか追いつこうとする。

☆そのとき、教養に興味を示さないと、教養主義の教師の授業方法や生き方のマニュアルを欲しがるようになる。悪くはないが、つまらない形骸化した授業になったりする。

☆21世紀型教育の学校は、マニュアルを導入するや、形骸化し、広さも深さもないICTだけが人工的に動いている奇妙な学校になり、生徒が寄り付かなくなるから、研修を充実し、チームコーチングを欠かさない学習する組織を持続しようとする。

☆そして、読書量や経験値では、いつまでたっても追いつかないわけであるから、「思考コード」で会話→脱抑圧→対話と次元をアップできるビジョンを見出せるようにし、さらに読書量や体験値をICTのパワーで補う。

☆これによって、あっという間に脱達人の領域にいきつく。しかしながら、ある程度読書量や様々な外部ネットワークとのつながりの経験値がないと、スキル的には一気呵成に優れた地点にまで浮上するのだが、やはりコミュニケーションの幅や深さが柔軟というわけにはいかない。

☆それゆえ、修業時代を抜けることはできない。もちろん、かつての修行の時間は短縮できるのは間違いない。

☆21世紀型教育の学校の教師は、脱達人の領域か潜在的達人の領域か、マニュアル領域か、いずれにかにいる。それが世代ギャップにストレートに反映している。

☆しかし、ここで大事なことは、それらの領域の教師からリスペクトされる教師が、授業の達人である。図では、Aのポジショニングにいる教師である。

☆20世紀型学校にも授業の達人はいるが、彼らのコミュニケーションは抑圧的で権威主義だから、憧れの存在ではない。

☆しかしながら、抑圧的コミュニケーションではなくて、共感的コミュニケーションを基盤に、同調コミュニケーションにならないように脱抑圧的コミュニケーションを体得し、なおかつクリティカルでクリエイティブな対話思考に自らも、そして生徒もいっしょに上昇できる達人は、実際には希少価値だ。

☆20世紀型学校には、抑圧的上昇気流に乗せる達人はたくさんいるだろうが、そもそも21世紀型教育はじまったばかりだから、ポジショニングAにいる教師はいるはずがないのである(香里ヌヴェール学院にはいるが)。

☆ところが、20世紀型学校が21世紀型教育に転換した時、潜在的達人がいて、その達人の才能が自然と発揮される環境になるという場合がある。多くの場合は、潜在的達人領域にはいるが、実際には中途半端であるにもかかわらず、自分が達人だと錯覚に陥っている場合がたいへんだ。再び、権威主義的になる。たとえば、アクティブラーニングなんて昔からやっていたよと口癖のようにいう教師がそれだ。

☆学校説明会に行っても、うちは昔からアクティブラーニングはやっていました。何も変わる必要はないのですよと。未来への見識を持っている保護者は、無意識のうちにセンサーが働いて、そのような学校を選択肢から除外する。

☆21世紀型教育に転換するとき、脱達人領域のメンバーがチームコーチングを行わない場合、あるいは行えない環境にある場合、中途半端な達人領域にいる教師とマニュアル志向の若手教師を放置することになり、ほぼお手上げ状態。21世紀型教育改革は失速する。

☆それゆえ、21世紀型教育改革を行って成功しているところや光が見えてきているところは、日々チームコーチングの内製研修を行っている。

☆今「21世紀型教育」と言っている学校のほとんどが、このチームコーチング研修を内製化できていないから、学内では、20世紀型教師とのせめぎ合いの方が多い。あるいは、完全に20世紀型なのだが、21世紀型教育の仮面をかぶっているかだいたいどちらか。

☆それでも、21世紀型教育に立ち臨もうとしていることが重要なのだ。大いに期待したいが、そうはいっても保護者からすれば、どこが21世紀型教育の質が高いのか知りたいというのは当然である。

☆それには、21世紀型教育における「達人」の存在がいるかどうか?脱達人領域の教師がリーダーシップを発揮しているかどうか?チームコーチングの内製的研修が行われる学習する組織ができているかどうか?をチェックするとよい。

☆ただし、教師集団が若い場合、ポジショニングAの達人は論理的仮説のときがある。そして、それができるためには、「思考コード」がないとできないのである。このことはいずれまた。

☆さて、しかし、達人Aがいない場合、論理的仮説をポジショニングDにシフトすることが易い。いないのだから、何をやってもよいのだ。

☆これをすでにやってのけているのが、MITメディアラボの所長伊藤穣一氏だ。だから、論理的仮説として、伊藤穣一型アンチ専門分野主義の教師を設定できる。

☆こうして四角形ABCDの領域が広がる。この領域を、今後クリエイティブスクウェア(CSエリア)と呼ぶことにする。

☆このCSエリアにいる先生を、私はスーパーグローバルティーチャー(SGT)と呼んできた。SGTは自分の能力だけではなく、チームコーチングシステムを運営できなければならない。

☆彼らは、ギリシア時代からヘーゲルやハイデガーまでのことはあまり知らない。しかし、脱教養主義で、新しい発想や思想を体得しはじめている。CSエリアにシフトしたという意味のSGTがたくさん生まれている学校は、今のところ工学院と三田国際、聖学院の3校しかないが、今後21世紀型教育機構の学校からは生まれて来ることになる。

☆そのために加盟校のアクレディテーションが行われるわけだからだ。そして、そうしなければ、ならないのは、20世紀型教育学校の中から、脱教養主義の思想を乱用する「未知なる恐怖」の出現をなんとしても阻止sなければならないからだ。残念ながら、まるでダースベイダーのような人材がすでに出現し、いろいろな学校で暗黒エリアを形成している。

☆すでに、私の尊敬する教師も彼らの手に落ちはじめている。未知なる恐怖は、政府官僚と結びつく狡知を有していることだ。

☆クリエイティブスクウェアの広がりこそが、その暗黒エリアの拡大を阻止できるのだが、間に合うだろうか。。。

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