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21世紀型教育を創る学校の意味

☆「21世紀型教育」が、私立中高一貫校の中で使われ始めたのは、2011年から。21世紀型スキル、21世紀型能力、21世紀型学力・・・といったキーワードは、以前から使われてきたが、政府官僚や大学、企業が主に活用してきた。

☆しかし、私立中高一貫校は、「21世紀型教育」を命名した。何が違うのか?それは、「生徒1人ひとり」という「個人」の概念の変容を中心に考えてきたからだ。

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☆20世紀型教育だって、「生徒1人ひとり」という「個人」を考えてきた。しかし、それは「学力」という名の「一次元偏差値」で「個人」を考えてきた。国にしても、「国民」という抽象的な意味合いでとらえrてきたし、大学では、専門分化されているから、「生徒1人ひとり」の「個人」の全貌をとらえるのではなく、「心理学的側面」「社会学的側面」「教科的側面」などというそれぞれの研究のフィルターで見てきたに過ぎない。

☆しかも、基本は事実であり、見える事象でしか判断されてこなかった(タキソノミーで言えば低次思考の層)から、目に見えない教育の質(タキソノミーで言えば高次思考の層)はまったく論外だった。質こそが、「生徒1人ひとり」の「個人」の多様性の土壌であるにもかかわらず。

☆だから、「生徒1人ひとり」の「個人」の多様性を見るのではなく、その個人の一部分でしかない、「一次元偏差値」が表す平準化された「部分」を個人だとみなしてきた。国や自治体、企業は、マシーンとして壮大なシステムであり、その歯車として、優秀であるかどうか、そして、優秀なパーツは、マシーンを動かすファーストクラスのポジショニングを獲得できた。それ以外は動かされる側。

☆だから、1986年から2011年までは、私立中高一貫校のマーケットである中学受験市場は大衆化した。大衆化とは、平準化された「個人」が、与えられた商品を大量に消費し、消費の仕方で個性が規定される現象。

☆しかしながら、そんな自由マーケットが、自由ではなくファーストクラスの都合によって操作されてきたことに、一部の見識者のみならず、多くの人々が気づいたのが、2011年であった。もちろん、放っておくとその気づきは雲散霧消してしまう。

ようやく、「生徒1人ひとり」の「個人」の多様性を見いだすことの重要性に気づいた瞬間がやってきたのだから、その大切な気づきを持続可能なものにするには、いかにしたら可能か幾つかの私立中高一貫校のリーダーが議論してできたのか、今の21世紀型教育機構だ。

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☆入学時の偏差値が違っても、教育の質で十分に生徒は成長する。それには、いまここで「生徒1人ひとり」の「個人」の才能を見いだすことがまず必要だというところから出発した。

☆それゆえ、アドミッションポリシーでは、思考力入試だったし、カリキュラムポリシーでは、PBLとリベラルアーツの現代化を急いだ。同時に国内の大学では、その多様な才能を活かす機会が不足していることにも気づき、ディプロマポリシーとして、「グローバル高大接続準備教育」が必要だということにもすぐに気づいた。

☆それゆえ、アドミッションポリシーで「英語入試」を設定し、カリキュラムポリシーでは、インタークラスやイングリッシュクラスなどを設置した。

☆そして、教育の質は、「生徒1人ひとり」の「個人」の才能を見いだすシステムの充実によって顕在化するが、それを数値化するのは多次元偏差値であることに気づき、「思考コード」を開発することになった。

☆偏差値自身は統計学の方程式である。方程式は、目の前の現象の諸関係を関数化して置き換える操作である。それ自体になにもマイナスイメージはない。多様な才能の中のどこに「個人」が特徴を持っているのか、その確率を探し当てるシステムである。これを認知関数に応用しているのが、AIでもある。

☆かくして、「個人」とは、多様な知の諸関係によって映し出される。共感知による多様な自然・社会・精神の諸関係によって映し出される個々に違う存在なのである。なぜ違うかというと、その「諸関係」の在り方が違うからだ。

☆システムの格子点なのではなく、システム全体を「個人」は内面化し、そのシステムを動かし創る才能が個々に違うということなのだ。これがin-dividualの意味である。dividualという多様体を内面化する自分がそこにはいる。その内面化する方法や感じ方、考え方は個々に違う。

☆また、その内面化したシステムを活用し創造する特色も個々によって違う。だからこそ、相互に尊重し、自然・社会・精神の有機的循環システム世界を一部のファーストクラスではなく、1人ひとりユニークな才能としての個人が互いに協働して創出していくことが大切なのである。

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☆このシステムの「個人」による内面化の教育システムこそ21世紀型教育の意味である。この内面化されたシステムの豊かさを「世界」というのだ。この世界を外化し、その外化した世界システムの格子点とか部分とみなされてきたのが20世紀型教育における「個人」。

☆内面化された世界を包括する「個人」にパラダイムシフトするのが21世紀型教育なのである。

☆どんなに新しい教材やICTを持ち込もうと、外化された世界というマシーンシステムを前提にしている限り、「個人」を豊かにするのではなく、「個人」をテコに、外化された機械論的世界をどんどん化け物化していくことは、20世紀社会の影の部分だったことは、忘れてはいけない。

☆人間というアンビヴァレンツな存在の影の部分ではなく、光の部分を大切にし、影の増殖を阻止するのが21世紀型教育である。もっとも、影の部分を除去することは残念ながらできない。影があるから光がある。そのバランスの均衡をぶち破ってしまったのが20世紀社会であり、そのバランスを強烈に回復しようという変わらぬ私学人の精神とその実現を目的とした教育イノベーションが21世紀型教育の歴史的意味だと思う。

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