« 【速報】三田国際 さらなる進化 入試改革そして高校新コース | トップページ | 「グローバル高大接続準備教育」の拡大間近そして本当のコト »

筑駒とYALE

☆八雲学園のイエール大学との音楽交流を取材して、イエール大学の学長ピーター・サロベイ教授の先日の卒業式の演説と重ね合わせながら記事を書く着想を得た。そして、サロベイ教授の演説内容がとてもおもしろかったので、他の学校でも話題にしてみたら、これがなかなか「主体的・対話的で深い学び」になるのに気づいた。

Yale
(八雲学園のイエール大学との音楽国際交流の本番シーン)

☆そこで、さらにYALEをググってみたら、実に興味深いブログに遭遇した。「早坂有生のYALE」がそれなのだが、筑駒のOBで、2016年にイエール大学に入学したということのようだ。

☆その中でいくつもおもしろい記事があるのだが、「筑駒の授業とは?」もその1つ。教科書はいつも超越していて、カリキュラム項目の順番もあってないようなもの。

☆教師1人ひとりが、自分の好きなところや極めた領域を中心に、ひたすら理解を深め、見聞を広める授業展開が多かったと。要するに高次思考のレベルだったというのだろう。すべての教科は、思考方法の前では素材に過ぎないのだから、多くの素材の表面をなぞるより、1つの素材を突き抜けることの方が学びになるということだろう。

☆それがイエール大学の学問追究の時に大いに役立ち、「筑駒の授業はどちらかというと日本の大学よりアメリカの大学の教養の授業に近かったのだと思いました」と言わしめるほど。詳しくは同ブログをぜひ。

☆それから、「理解するということ」というエッセイもおもしろかった。そこにはこうある。

僕は今まで、弱い立場、〇〇の被害者という存在について、あまり積極的に学ぼうとしてきませんでした。部外者の自分が何をしても当事者の気持ちを理解はできないだろうと思い、そういった方々を特集するようなテレビ番組も好きではありませんでした。それが最近少しずつ変わってきているように感じます。

一番の理由は、Anthropologyのクラスだと思います。Anthropologyの論文の一形態であるethnographyは、完全な部外者が現地に行き、対象の人々と長い時間を共にし、その考え方や生き様を研究者の視点で描く文献です。今学期、Minorities in JapanでもIslam in the United Statesでも、こういったethnographyをたくさん読みました。それが、どれも自分の全く知らなかった方々を描き出していて、とても面白く思いました。まだ自分がこのようなanthropologistになりたいかはわかりませんが、これからも学んでいきたいです。

☆なんてこったあ!学長ピーター・サロベイ教授の先日の卒業式の演説で語られている内容がそのままあてはまる。<Stranger>から<Community>へ。

☆これは、早坂さんの個性でありキャラクターなのだが、もしかしたら、日本の知識エリートの姿を映しだしている可能性も少なからずある。

☆早坂さんのようなエリートがもしも、東大をはじめとする日本の大学の枠内だけで成長していったら、anthropologist的発想を持ち得ないかもしれない。もちろんそうでないかもしれない。もっとも、早坂さん自身、そういうエリートにはなじめなかったから、東大やハーバードではなくYALEなのかもしれない。

☆しかし、いずれにしても<Stranger>をいかに受け入れるのか、それは重大な問題であり、それを避けて通れないキャリアデザイン教育として、早坂さんのブログはヒントになるし、今、日本に居ながらにして、「グローバル高大接続準備教育」が必要な理由もここにあるのではあるまいか。

|

« 【速報】三田国際 さらなる進化 入試改革そして高校新コース | トップページ | 「グローバル高大接続準備教育」の拡大間近そして本当のコト »