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新しい学校選択 「教育の過程の質」第4の波<10> リベラルアーツの現代化

☆教育の過程の質<第4の波>を牽引する学校は、リベラルアーツの現代化に取り組んでいる。何故に「現代化」なのか?これについては、元財団法人国際ビジネスコミュニケーション協会副会長の阪田貞宜氏の論考が参考になる。

Sakata

☆阪田氏は、昭和13年に旧制一高に入学している。私と40歳ぐらい離れている。しかし、氏の経験した教養教育については、私も理解が可能だ。もっとも「教養主義」という言説は阪田氏の旧制一高時代はなかったらしい。こう語られている。

明治以来のナショナリズムを払拭し、市民社会のエリートとしての自立精神の強調がありました。そこには知識を拡げ、人格の陶冶に資する知的教養への指向があり、「教養主義」と言われたのでしょう。

教科の中心は語学ですが、徹底した読書力中心で会話は全くと言っていいほど行われませんでした。読書もまた原書主義で、原書をオリジナルな語(ドイツ語専攻の文科乙類ではドイツ語)で読むことが中心でした。

<中略>

文法は一、二か月で概略を済ませ、夏休みにはヘルマン・ヘッセの『車輪の下で("Unterm Rad")』や『インメンゼー("Immen See")』などを読みました。 特に文科乙類はドイツ語専攻ですから、カントの二つの『理性批判』やゲーテの『ファウスト』なども在学中に読了しました。

 しかしカントのドイツ観念論などは内容を理解できるはずはなく、その読書も青年らしい見栄にすぎなかった面もありました。

 ともあれ今にして思えば、読書を通じて外国文化を理解しようとする日本人の熱意には驚嘆すべきものがあったと感じます。

☆もちろん、私は旧制一高とは関係ないが、自分の学んだ高校も、まだそういう雰囲気はあった。内面の魂やカントとかゲーテとか、友人たちは、だいぶ遠のいていて、ビートルズの方が流行っていたが、それでもその雰囲気は残っていた。

☆つまり、日本の教育における教養主義というのは、徹底した読書主義で、カントを中心とするドイツの疾風怒濤の時代の香が残っている。しかし、それは阪田氏も語っているように青春時代の背伸びに過ぎず、そのままでは実用的でない。

☆だから、今哲学教育が注目されているけれど、そのような教養主義の時代の哲学などではないのである。阪田氏自身こう語る。

現今は〝世界化〟(グローバル化)が進み国境を越えて異文化間のコミュニケーションが行われるようになりました。人も国民であるとともに世界市民としての性格を持つようになってきました。新しい時代が要請する教養も当然内容が異なってきます。

現状では新しい教養がどんなものであるかは明確でありませんが、知的教養よりも相手に接する時の心的態度が重要となってくるでしょう。いずれにしても世界市民としての教養はいかなるものであるかはこれからの大きな課題です。

☆どうやら、阪田氏自身、教養主義の現代化を予告している。いったいそれがなんであるかまだわからないがという条件付きであるが。

☆しかしながら、その教養主義の現代化に現在の閉塞状況を突破する期待も寄せている。

☆その期待を第4の波の教育の過程の質は全面的に受け入れるのだ。阪田氏の時代は、世間の認知の能力は、知識・理解のレベルで十分だった。それを超えるクリティカルでクリエイティブな思考力は、ファンタジーでも描いていればよいという時代だった。

☆それゆえ、青春時代の背伸びの教養主義で十分だったのだろう。しかしながら、第4次産業革命の時代に突入している現在。そのクリティカルでクリエイティブな思考力は、ファンタジーではなく、リアルな世界とサイバーな世界を実用的に統合する思考力でなければならない時代になった。

☆それゆえ、その思考次元にかかわってきた教養主義は、リベラルアーツの現代化としてプラグマティックな思考にシフトする必要がある。

☆このクリティカルでクリエイティブな思考力は、今では、オットー・ラスキーの言葉を拝借すれば、プラクティカル・ウィズダムと呼ぶべきものなのだと思う。

☆では、この<プラクティカル・ウィズダム(PW)>とはいかなるものか?次回考えてみたい。

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