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日本の教育の間違いに気づく時代

☆日本の教育は1989年以降失敗だった。そして、今さらに失敗しようとしている。1989年以前成功だったのかと言えば、強欲資本主義を後押しできたという意味で成功であり、結局、歴史的リフレクションによって、それは失敗だったということになる。

☆この点に冷静に気づこうとしてこなかった日本の教育は、このままでは、さらに失敗を続ける。1989年以前から、つまり、明治維新当初から、そのことに警鐘を鳴らし、その度に、常に閉校の脅しをかけられながら、なんとか生き延びていた私立学校。

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(写真はすべてミネルバ大学の公開動画から)

☆今も助成金でコントロールしてこようとする場合がある。その都度、権利の闘争をしている。もっとも、それを一身に背負っている「チーム私学人」の存在のことを私立学校の先生方自身が知らない場合が多いのであるが。しかし、法律は自然に成立するのではない。権利の闘争によって成立する。もちろん、権力によって成立する場合があるが、それは合法的手続きによって覆い隠される。

☆だから、クリティカルチェックする「チーム私学人」の気概が重要なのである。

☆ところが、戦後から2006年まで、なんとかその私学の魂は保守できていたが、戦後教育基本法の改正以降、私立中高一貫校と公立学校は、前者はデフレによって助成金をなんとかしなければならなかったために、「チーム私学人」でさえ、自由な動きに多少なりともブレーキがかかってしまったかのように見えた。公立学校は、形式的平等から実質的平等という名で、格差を合法的に正当化し表面化し、進学指導重点校や公立中高一貫校に予算が流れ、私立中高一貫校と同様の学びの環境をつくりあげた。

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☆しかしながら、私学の魂を継承することはなく、結局強欲資本主義を支援する効率の良いシステムだけを導入した。つまり、大学合格実績をアップするシステム。魂を継承しなかったために、教養主義は、その露骨さを覆い隠すマスクとして活用されている可能性がある。もちろん、システムの話であり、当事者である、教師と生徒は純粋である。

☆一方受験市場は、そのような強欲資本主義で勝ち組になればよいのだから、資本主義の自浄作用の役割は、自ら担おうとしない。それは自浄作用が働いてから動けばよいのだと考えている。もちろん、そんな中で新しいタイプの希望の塾も出現しているが。つまり、資本主義の批判をしているだけではなく、強欲資本主義を創造的資本主義にシフトする契機として。

☆それはともかく、こうして、1989年以降、グローバリゼーションが世界を席巻した時、日本は、中韓、シンガポール、ドバイ、インドなどにおいていかれることになる。

☆このグローバリゼーションにおいて日本の国力を支えられなかった教育の失敗の象徴が、国際理解教育である。ユネスコと結びついて国際理解教育によって、潤った学校はあるが、その学校は、日本の国力を持続可能にする教育を組み立てることはしていない。東大合格実績を上げることに役に立っただけだ。

☆実はユネスコの提唱した「国際理解教育」それ自体が、日本の教育にはいってきたときに、矮小化されたのである。またも、プロクルステスのベッドだったわけである。教科や特に総合学習の中に雲散霧消されたのである。そして、国際理解教育=英語教育強化ということに焦点化してしまった

☆一方、世界も、「国際理解教育」は「国際教育」「ワールド・スタディ」「グローバル教育」とバリエーションが生まれているが、英語教育強化ということでは、もちろんなく、「国際創造教育」へとシフトしているのだ。そんな中日本でも、「グローバル高大接続準備教育」という新しいグローバル教育の開発をしはじめた私学が誕生した。それ以外の私学でも、依然「国際理解教育」という言葉を使っている学校も、全く新しい次元のグローバル教育を開始しているところもでてきた。。

☆そして、今ハーバード大学よりもすごい大学なのではないかと評判のミネルバ大学が出現した。果たしてこの大学が凄いのかどうか、実はどうでもよい。私に評価できる何の資格も権利もないのだから。

☆ただし、なぜ出現したのかという点について考えることは許されるだろう。それは、この新しいグローバル教育の誕生を意味するということだ。すなわち、Global Immersionsという異次元の動き。C1英語とPBLとICTと≪higher order thinking≫ベースのリベラルアーツ、これらすべてを統合したPractical Wisdomを、グローバルシティをフィールドワークしながら身につけていくという新しいグローバル教育。

☆このような大学と接続できるように中等教育学校のカリキュラムを変更したのが、「グローバル高大接続準備教育」である。

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☆それなのに、ここでもまた日本の教育改革は再び失敗しようとしている。なんとか阻止しなくてはならない。

☆「B1英語しか獲得できないだろう。C1英語なんて少数の生徒のみに開かれている。そんなことより国語が大事だ」なんていう方々もいるぐらいだ。C1英語とは、言語思考力ということなのに。

☆この頭脳を難しいからと避けて通ろうとする妥協した教育改革は、結局のところ国民を守れないだろう。

☆「PBLなんてできない」とまだ言う方がいる。「アクティブラーニングは欧米では死語だ」とかくだらないことを言う方もいる。表現の問題ではないのだ。対話思考力(弁証法とか構成主義や関係主義的な意味で)ということだ。

☆「対話思考力の論述は、難しいし、採点ができないから」といって避けようとしている。採点ができる出来ないなのではないのだ。しなければならないのだ。人間という存在を尊重するならば。

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☆AIに警鐘をならしたり、ICTは道具にすぎないという方もいる。何を言っているのだ。AIとは、素数とアルゴリズムとトポロジーと人工言語などの数学的思考力の回路ということなのだ。AIの危険性は、AIに限ったことではない。あらゆるものは常にリスクマネジメントが必要だ。何より人間がその象徴だろう。

☆とにも、人間をはじめ生命体が地球いや宇宙に存在するということ自体が奇跡なのだ。その奇跡の謎を解き明かしていくからイノベーションが生まれる。

☆そして、ICTは一握りの天才数学者からすべての人に数学的思考力をシェアできるようにしたのだ。ICTは強欲資本主義が囲っていた生産手段を人類1人ひとりに開放したことも意味する。ノートパソコン一台で起業することができる時代である。ICTの活用が遅れれば遅れるほど、人類の宝物を手にすることができなくなる。

☆リベラルアーツなんて実用的でないという人もいる。ところが実用性とは、常に歴史的に拘束されている。時代を読み歴史のダイナミズムを見通すコンセプチュアル思考力なくして、時代を切り拓くリーダーシップを養えない。

☆リーダーシップがないところでは、価値相対主義と個人主義がはびこり、社会や世界は崩壊するだろう。

☆つまり、Practical Wisdomがなければ、理想を現実化することができない。理想なき現実は未来を創ることができない。現実なき理想は、今を生きることができない。

☆自分たちの子どものために、自分の利益だけを守る側から抜け出て、他者の利益も守る側に立とうではないか。そんなGrowth Mindset Schoolをみんなで創ろうではないか。お決まりのネガティブファンタジーを振りまくのは、もうやめようではないか。

☆全国学力テストのような税金を無駄に使うテストはやめよう。OECD/PISAに参加しないで、その拠出金をすべての生徒のC1英語、PBL、ICT、リベラルアーツの現代化、Practical Wisdomを直接養成する教育にお金を出そう。Global Immersionsの環境にお金を使おう。

☆大学入学共通テストもやめようよ。そんな金があるなら、Practical Wisdomを育成できる人材に金を出そう。そういう能力やスキルで挑戦できる大学入試を各大学が独自に作りだせばよいだけだ。教師やファシリテーターの育成は?ブレンディッドラーニングを活用しながらやっていけばよいではないか。

☆受験市場は?従来のマスを処理するシステムに変わる塾が誕生する。いや、すでに誕生している。そこがとって替わるだろう。イノベーションの栄枯衰退は世の常。マスを処理する大手教育産業が自ら変わるのであれば問題ないだろう。しかし、固定費の莫大な集積を捨てることは難しい。

☆だから、なんとか見た目のデザインを変えて、維持しようとする。そこに荷担する教師は、気づかなければならない。自分たちが教育改革を阻む盾に取られているのだと。子どものことを一番思っている教師が、実は彼らの未来を阻む壁に埋め込まれているのだと。

☆もう今までの学校の概念にこだわるのはやめようではないか。変わろうとしない言い訳はやめようではないか。国や大手教育産業に媚びるのはやめようではないか。ミネルバ大学のGlobal Immersionsや21世紀型教育推進校のグローバル高大接続準備教育は、従来の学校の概念を変えるGrowth Mindset School誕生の動きの1つなのである。

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