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学校組織の内蔵システムの変化の意味

☆お盆休みに入ってからしばらく、重要なミーティングの機会が幾つかあった。その1つに、関西からお盆休みで実家に帰るから立ち寄るよという先生との話があった。それは、実に重たくも面白かった。

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☆というのも、その先生のお話は、あまりに大胆な改革だったからだ。2020年大学入試改革に対する対応はもはやコモディティー化し、どこも差がない。しかも、コモディティー化の特徴として、いろいろな関係を絶って、それ自体が商品として市場に出回る。

☆本来グローバルな世界の新たなルール変更と同期しているはずの日本の教育改革が、その関係を見ようとしないまま進んでいるかのようだというのだ。それでは、この改革を後追いするような改革では、立ち行かなくなるのは明らか。

☆だったら、むしろグローバルルールや国家レベルの教育改革は織り込み済みにして、独自の学校改革を行うのがよいが、学校組織自体が、学校関連法規という国法レベルを踏み外すことができないから、ダイナミックな変革を表現できない。

☆そこで、やはり学校組織の内蔵システムを大きく変えようと。校務分掌、クラスや授業、カリキュラム、シラバスという項目枠組みは、学校組織として変えようがないが、一つひとつの内蔵システムを変えてつなげなおすことはできる。

☆新しい酒は新しい袋にだけれど、実は内蔵システムと学校組織としての枠組みは表裏一体で、内蔵システムが変われば外壁も変わる。そこが新しい酒は新しい袋と矛盾しないところだと。

☆ところが、外壁を変えても、たいていは化粧するだけになるから、内蔵システムまで変わらない。ダイレクトに内蔵システムを変えることこそが、改革の本位であり、21世紀型教育機構の改革の方法をモデルにしたと。

☆しかし、21世紀型教育機構もまだ行っていないことを断行しようと。というか、その先生の学校にしかできない条件があるので、そこの内蔵システムを変えるのは当然だ。

☆外から見ていると、学校の内蔵システムにいたるまで、幾重も層の皮を剥いでいかねばならないが、学校改革側からすると、内蔵システムこそ外部に真っ先に露出すべき層なのだという。OSががらりと変わったという、ソフトパワーを見せようということのようだ。

☆そのような発想の転換は、もちろんさまざまな出遭いと多様な事柄の衝撃派を浴びてきたからだろうが、私もその出遭いの1つであるようだ。こういう瞬間、小さいと言えども自分の生きる意味を感じることができる。改革とは、かくのごとき意味を関係者と共有するという営みなのかもしれない。

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