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学校選択の目【32】工学院の教師力 学校選択の決め手は結局教師力(2)

☆工学院は、2014年から21世紀型教育改革の準備をし、2015年中学1年生から本格開始。つまり、今の中3が、2020年の大学入試改革をはじめとする日本の教育改革やその背景にある世界の教育改革に対応できるようにした。

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(英語科主任の田中先生の授業は、クリエイティブブレイン×クリエイティブアクション×クリエイティブプロダクトの三位一体授業。工学院の授業のプロトタイプになっている。)

 

☆まず最初に行ったことは、工学院で育つ生徒の学習者像のイメージを広げることだった。ちょうど日本語バージョンのIB校200校計画が文科省によって構想され、世の中IBで浮足立っていた。
 
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(クイズレットという英語のゲームが簡単にできるサイトを活用。生徒1人1台タブレットをもっているからできるということ。)
 
☆工学院の先生方もIBティーチャーのための研修に一斉に参加し、そこで工学院の学習者像とIBの学習者像を比較対照し、共通点を見出していった。そして、校訓にある「挑戦・創造・貢献」は世界標準である確信を得た。
 
☆しかしながら、そのときから今もまだそうであるが、大学入試が「知識・理解」レベルの低次思考力で乗り切れていたから、授業と校訓のギャップは、工学院に限らず、どこの学校でもあった。
 
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(田中先生の授業は、生徒にとって、とにかくおもしろいし深く考える授業だ。教師と生徒、生徒と生徒の知的なボケとツッコミがクリエイティビティを 開いている。)
 
☆工学院は、21世紀型教育では、高次思考力に飛ぶ必要があると判断し、意思決定していたので、「知識・理解」レベルのコード(知識を体系的に覚えることが最重要という暗黙のルール)を脱コード化する作業にすぐに取りかかった。それが現在の「知識・理解×応用・論理×批判・創造」までカバーする「思考コード」である。
 
☆だから、たとえば、英語科主任の田中先生の英語の授業は、中学1年生であれ、中学3年生であれ、クリティカルでクリエイティブな思考を稼働する仕掛けを行っている。
 
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(プレゼンの時に、ボードに書いてあることを、見せない。さすが英語の授業。リスニングも同時にトレーニングしているということだ。プレゼンしている生徒の発音が、果たして意味の塊としてほかの生徒が聞くことができるのか。聞いている方が、笑ったり、ツッコミをいれたりしているから、通じているということだろう。)
 
 
☆もちろん、学年によって、単元によって、素材によって、創造的な生産物まではできない場合もある。しかし、クリエイティブな頭の使い方や言動までは、授業に組み込むことができるという。
 
☆クリティカルブレインは、英単語を記憶するときにも起動する。意味論的アプローチや語用論的アプローチを、ゲームというチームプレイによって促進する。そのときポイントなのは、思考スキルの1つとして時間の制約というのがある。時間内にできるには、チームとして勝利するにはと、リミットを超えようとするとき、脳はアクティブになるのだ。
 
☆また、ちょうどmustとshouldの使い方を学ぶセクションだったので、田中先生はチームで自分たちがつくる学校を決め、その学校のルールを作成するというアクティビティをいれた。ここにも時間制約がセットされているが、さらに音楽もBGM(もちろん英語圏のポップス)としてガンガン流されている。
 
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(社会科の平林先生の授業。田中先生の教えていたクラスだが、まったく違うシリアスな雰囲気を生徒がつくっている。工学院の授業全体で、多角的複眼的な知のアプローチが生まれているということだろう。 )
 
☆要するに、海外で外国人と話をするときに、従来のような学校空間のように静かな環境ではないときもあるから、空間を海外の外にいるようにデザインしている。
 
☆もっとも、生徒は創作に没頭するので、BGMは邪魔にならない。
 
☆この一見ケイオスの中から実はクリエイティビティというものは育つのだ。静かに教師の話を聞くだけの空間では、クリエイティビティは育たない。しかしながら、このような空間に変えてよいという学校全体の取り組みがないと、隣のクラスはうるさい、なにやってんだ、静かにさせろ、しつけがなっていないというお決まりの規制が働くことになる。
 
☆しかし、工学院スタイルはそのようなものではない。
 
☆というのも、この創作は、ナンセンス、ユーモアありなのだ。あり得ない学校、あり得ない校則(具体的にここに書くと、誤解を招くので書けないが)大いにありなのである。ナンセンス、ユーモアこそ、既成のコードを脱コード化するクリエイティビティの発露である。こうして、クリエイティブブレイン→クリエイティブアクション→クリエイティブプロダクトという流れが、工学院の英語のプロトタイプ。もちろん、脱コード化の手法はユーモアばかりではない、クリティカルシンキングやメタファー満載の手法をとる先生もいる。
 
☆だから、田中先生が授業した同じクラスが、社会科の平林先生の時には、極めてシリアスになる。というのも社会科はグローバルイシューを扱っているから、人々の痛みを理解し、解決するにはどうしたらよいのかを探求しているからだ。
 
☆私がちょうど見学しにいったときには、同じクラスの生徒が改正臓器移植法について、調べ、臓器移植についての意識の高さが国によって違い、とくに日本は低いということについてどうしたらよいのか、世代間のギャップもどう埋めていくか深い考察がなされ、プレゼンされていた。
 
☆世代間ギャップを検証するために、工学院の先生方にインタビューした結果も公開し、先生に議論で立ち向かっていく姿もあった。教師も適当に往なすのではなく、真剣に立ち臨んだ。たしかに意識が低いことを認め、これからいっしょに考えていこうと語り、さらに生徒との信頼の絆を強くしているシーンは感動的だった。
 
☆とにかく、知識・理解のレベルは必要ではあるが、改正臓器移植法の知識を知っているだけでは全く役に立たないことを、クラスの生徒も教師も身に染みて感じた瞬間である。
 
☆工学院の授業は、思考コードを意識することによって、高次思考まで展開するクリエイティブな授業になっているのである。
 

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