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三田国際 異次元の授業革命

2017年12月17日(日)のカンファレンスの打ち合わせもあり、三田国際の授業を朝から見学させていただいた。午後からは三田国際のICT授業の“OPEN DAY”で、学校の先生をはじめとする教育関係者、ガバメントがあふれるほど集った。
 
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☆そこでもICTを使った授業が公開された。しかし、ICTを使った特別な授業ではなく、午前中見学した毎日行われている授業そのもので、普段の授業だった。
 
☆したがって、外から来て見学すると、ICTを使った先進的授業なのだが、同校の教職員と生徒にとっては、いつもの授業。ここに「授業格差」がくっきり私の心に刻まれた。この格差、まだ世間では気づかれていない。
 
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☆「教育格差」の本当の意味は、もちろん費用の面もあるが、教師の力量差がそのまま表れる。しかし、三田国際の授業のことを世間は知らないから、ここにどんどん「授業格差」が生まれ、三田国際の生徒とほかの学校の生徒とでは、学力差などあたりまについてしまうが、グローバルコミュニケーション及びイノベーティブ思考力の格差がくっきりとついてしまう。
 
☆それはともかく、非常に驚いたのは、教師の問いかけと生徒の反応という関係では、もはや三田国際の授業はとらえられないということなのだ。
 
☆すべての教科でICTを活用しているという「授業格差」だけではなく、問いかけと反応という単純相互通行型授業ではもはやないので、ほかの学校でもアクティブラーニングをようやくやり始めただろうが、もはやそこでも大きな「授業格差」が起きているということなのだ。
 
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☆前者の「授業格差」はわかりやすいが、後者の「授業格差」がなんであるかは、実は私もわからない。
 
☆しかし、目の前でみたのは、教師も「思考」し、生徒も「思考」していて、単純相互通行型の問いと反応というより、「思考」と「思考」のぶつかり合いが学びの空間を生み出して複雑系相互通行型授業になっているのだ。
 
☆つまり、従来の授業見学だと、教師と生徒の問いかけと反応のつながりが、一見とぎれると、うまくいってないのではないかと思ってしまうが、三田国際の場合は、実は、それこそが、うまくいっている証なのだ。
☆教師はただ問いを投げかけるだけではない。同時に自分も思考するのだ。だから、先ほど「複雑系相互通行型授業」と、「単純相互通行型授業」と対比するために便宜上そう表現したが、どうもこれでは正確に言い表せてはいない。
 
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☆生徒も当然思考しているだから、教師と生徒の両者のその思考の過程や発想は当然違ってくる。それがICTに現象する。どういうことかというと、教師がPCで映し出しているものと生徒が各人のタブレットで映し出しているものが違っているのである。
 
☆最近多くの学校でよくあるシーンは、教師が、ロイロで前方の画面に生徒一人ひとりの考え方をいちいちシェアしているが、三田国際では、もはやそんなことをする必要はない。それは、すでにタブレットの画面内で生徒同士やっている。
 
☆つまり、教師が使っているアプリと生徒が使っているアプリが違う。これは、一般のICT教育とは違う。普通は教師と生徒はアプリなどを共有し、一見相互通行型だが、結局は教師がコントロールする一歩通行型授業になっているものだ。
 
☆それが、しかし、シェアという機能によって、それぞれの個の考え方が共有されているように見えるだけなのだ。
 
☆本来、相互通行型というのは、互いに考え合うことであるから、このテーマを話し合い、おそらくこのような着地点になるだろうと予想しながらも、偶然性が多発するところに醍醐味がある。
 
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☆生徒の教師の想定する発想を超える考え方が偶然にも生まれる。すると、教師はその偶然性を自分に問い返す。そして、そこから新たな問いが生まれる。しかし、そもそもそんな問いを生むこと自体が、生徒にとって違和感がある場合、生徒は違う問いを重ねてくる。
 
☆教師と生徒のやりとりは、因果関係的なつながりで表現されるのが普通だが、三田国際では、関係と関係の相関という関係の「重ね合い」と「つながり合い」と「組み換え合い」。
 
☆したがって、教師と生徒は、問いと反応の相互通行型授業ではなく、互いに思考と思考を重ね合い輻輳させながら授業が展開するのだ。
 
☆つまり、思考の密度が違うのだ。直感的にそう思うだけで、まだそのプロセスがよくわからないが、とにかく相互通行型授業というより「輻輳思考対話型授業」になっていることだけは確かだ。部分を見ただけでは先生の指示を聞いていないように見えるが、全体を見ると、新しい発想を教師と生徒がともに創造している大きなベクトルがそこに生まれている。
 
☆大きなベクトルはともにシェアできるが、その中での関係と関係の葛藤や重なり合いは個別具体的で違いが生まれる。多様な違いが大きな一つのベクトルを生み出していく。「相互通行型授業」から「輻輳思考対話型授業」への転換。三田国際は、独自の進化を歩んできたが、ここにきて、今までの概念では把捉できない異次元の授業革命を起こしているのだと思う。
 
☆ICTを活用するとは、わかりやすい授業を展開することではない。これでは、便利な道具で今までの授業をやりやすくするだけで終わる。
 
☆三田国際では、もはやICTは授業のための道具ではなく、思考そのものの延長としての存在者になっている。たとえば、どの授業でもプレゼンテーションはもはやパワーポイントで表現するのではない。動画そのものを作成する。
 
☆その際、「Aurasma(オーラズマ)」を活用している。一部の生徒が活用しているのではない。全員が活用するチャンスがどの授業でも開かれている。
 
☆これは、拡張現実(AR)プラットフォームであるから、先進の画像およびパターン照合テクノロジーが内蔵され、現実世界の画像や対象を人間の脳内で、認識している完全にバーチャルリアリティそのものなのだ。リアルスペースとサイバースペースの統合体。
☆VRとARは確かに商品用語としては違うが、ARを創発しているその脳内活動はVRというのが本当のところだろう。
 
☆誤解されては困るのは、「Aurasma(オーラズマ)」を活用していることが凄いのではない。リアルスペースでの相互通行型授業も、サイバースペース内で行う相互通行型授業も、別々のスペースで行われている限り、便利さの違いしか現れてこない。しかし、AR技術を使って創る側になると、VRの世界を創っている側にも立つのだ。
 
☆いや、先述したように、VRの世界は広がっていないと言われるかもしれない。それは与えられたVRの世界を見ている側からの感覚。VRを創っている側は、脳内ですでにその中に入っている。
 
☆つまり、その様子が一般には見ることができない。授業見学をしているのだが、目の前で何が起こっているのかは、見ることができない。暗黙知の創造的思考を可視化するには、この拡張現実ARと仮想現実VRを脳内で統合するプロセスを形式知化することなのだろうが、それが三田国際学園の授業なのだ。
 
☆三田国際のさらなる授業革命、それは授業見学する側の認知構造そのものも変えるインパクトがある。教師の教授法の概念を変える創造的破壊力がある。生徒の学びの概念を大転換させる力がある。
 
☆にもかかわらず、20世紀型教育の概念に無意識のうちに根付いる側にとっては、その力を受けとめることはできない。21世紀型教育のものの見方・考え方をする人にとってのみ受けとめられる「コト」である。
 
☆思考論的転回は、今まさに三田国際から生まれ出ているのだ。午後の“OPEN DAY”で、田中教頭は、大人になった今も、次々新しい経験に直面する。そこを乗り越えて変化していくことは、教師も生徒と違いはないと。
 
☆もちろん、そのためには、学校は学習する組織としてシステム思考が暗黙知となっていかなければならない。それは、研修によって、その暗黙知をリフレクションしながら形式知化しては、再び暗黙知化していく。この形式知化と暗黙知化の「輻輳思考対話型」の学校文化の形成。ここに三田国際の強さがあるのではあるまいか。

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