香里ヌヴェール学院 柔らかい理想主義へ
☆従来は基礎学力と称してまずは知識(What)の記憶中心教育だった日本。特に既存知識は、客観化されているから、生徒一人ひとりの個性や才能を目配りする必要はなかった。生徒の脳を記憶装置とみなし、その性能を競い合っていた。
☆しかし、グローバリゼーションが大企業と中小企業という分断を無化して、中小企業が国を超えて直接海外のローカルとグローバルな経済交渉をやるようになった。国が介在しないために、学習指導要領で配分されていた知識はすでに役に立たない。
☆一方で、世界は大きく変わり、一方で、学校内では相も変わらず記憶中心の学びが、ICTの進化によって、実生活の中で乖離してしまったのを生徒自身が感じるようになった。この文化的で知的なギャップを無視する教育は、当然「抑圧」に転移するから、生徒の人間力はゆがむ。よって、日々凄惨な事件が起こっている。
☆しかしながら、それが、日々の授業の中に端を発しているとは認めたくないのが日本の教育。それゆえ、はっきりそれは言わずに、第4次産業革命やAI時代が来るからという理由だけで2020年以降教育を変えようとしている。
☆しかし、自分たちの授業が、どんなに面倒見がよくても、それは生徒にとっては、防衛機制にしか映らないということに気づかずに、改革は失敗するからやめたほうがよいと嘯いている方々もまだまだいる。
☆カトリック校として、これはなんとかしなければならない。ほかのカトリック校では、そのミッションを忘れて、そのような「抑圧」を増大する面倒見の良い授業を行っているところもある。かつて修道会がローマカトリックに対してカトリック内宗教改革をやったように、香里ヌヴェール学院は立ち上がった。
☆そして、2020年大学入試改革以降の学習指導要領も、WhatのみならずHowを考慮する「主体的・対話的で深い学び」も、しかしながら、生徒は不在で論じられれている。ロジカルシンキングは重要であるが、実はロジカルであるから、生徒の思考計算装置の性能を上げるための教育で、一人ひとりの生徒の学びを見出す教育ではない。
☆首都圏模試センターを除く多くの受験産業、特にスケールメリットを得意とする巨大教育産業は、OECD/PISA同様、論理的思考どまりの教育を推奨する。ロジカルなものは、計算可能性、予想可能性が保証されているからだし、現状のICT環境で安価で処理できるからコストパフォーマンスがよいのだ。
☆つまり、企業にとってコストパフォーマンスが高いことは、生徒一人ひとりの才能を無化するというパラドクスをはらんでいるのだ。
☆そのパラドクスを解き明かす挑戦に香里ヌヴェール学院は立ち臨むことに理事会が意思決定したのである。一カトリック校では、あまりに弱い。しかし弱いがゆえに強いのだというのは聖書に刻まれた神のロゴスである。
☆かくして、同校の教員研修は、ヌヴェールの生徒にとってのPBL、言葉、キャリア教育をいかにしていくかということがテーマ(What)になる。そしてそのテーマを研修自体がPBLスタイルで、教員一人ひとりがiPqdを活用して、チームで共有したり、全体で共有したりして、問題意識を共有し、いかにしたら解決するかディスカッション(How)していく。
☆WhatとHowの弁証法的統一を探求しているわけだ。そこに必ず生徒が存在するから、当然自分たちの教育を批判的思考で俯瞰し、創造的思考で解決していく。
☆油断すると、まずは基礎学力として知識が必要だと、基礎学力と思考を分断する方向になってしまう。しかし、基礎学力と思考の弁証法が重要なのであるとすぐにメタ認知が働くようにもなってきた。
☆世の中には、基礎学力か批判的・創造的思考かとすぐに分断する短絡的発想が闊歩している。この悪の誘いに日々試されている香里ヌヴェール学院の先生方。生徒といまここで希望の未来を創ろうとする限り、悪魔の誘いをきっぱり拒絶できるであろう。神の計画が成就することを期待したい。
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