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2018年首都圏中学入試 生徒募集動向を考える(16)【超重要】グローバルシチズンを輩出する文化学園大学杉並

☆いよいよ今年2018年、文化学園大学杉並(以降「文杉」)は、共学化の年を迎えた。カナダBC州と連携しているDDコースをはじめ、すでに多くの文杉高3生が、AO・推薦入試で好成績を収めている。 共学化によって、それがますます拡大することは明らかだ。よって今春生徒募集は前年対比増となると業界でも見込まれている。
 
☆しかしながら、その結果を生み出す教育の質は、他校とは全く別次元のものだ。インターナショナルスクールを除けば、日本の学校(一条校)では初めてそれを実現した学校であろう。いったいそれは何か?
 
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☆それは、「グローバルシチズン教育」である。これは国際理解教育やグローバル教育を行っているからといって、そう簡単にできるものではない。

☆まして、公立学校では不可能なのだ。公立中高一貫校やグローバル10の学校日比谷高校でも難しい。

☆というのも、グローバル経済人はたしかに日本からたくさん輩出されているが、グローバルシチズンという市民性を有した日本人は少ない。かつて、新渡戸稲造や内村鑑三、石川角次郎はそうだった。そして、その薫陶を受けた今日までの私学人の系譜は、その意味を継承した。

☆しかし、自らがグローバルシチズンだったかというと、それはなかなか難しい。頭の中ではそうであるが、生活そのものをグローバルシチズンとして生きることは、環境が許さない。今日だと、工学院大学附属中高の教頭高橋一也先生には、グローバルシチズンとして生きる環境が揃っているかもしれない。

☆私たちは、日本の歴史の中で、シチズンシップを持ちえたことは本当はない。住民票で都民や市民と名乗ることはしているが、自治体をコミュニティと考えて、コミュニティシップを発揮して生きているわけではない。租税国家の出先機関としての自治体に税金を払って、生活インフラやセイフティネットを作ってもらっているが、それを自らモニタリングしてまで生きているということはない。まして、自ら自治体とグローバルコミュニティを作ることなどしていない。

☆しかし、欧米に行くと、それは当たり前だ。21世紀型スキルにも、グローバルシチズンシップのスキルもきちんと内包されているぐらいだ。

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☆私たちは、日本国民であるが、日本社会市民ではない。パスポートは国民のIDであり、グローバルシチズンのIDはない。もちろん、このグローバルシチズンのIDは、モノではなく、社会性や文化性の問題だが。

☆ところが、カナダのBC州と連携し、日本の教育とBC州の教育の両方を受けることができる文杉の生徒は、グローバルシチズンというものがなんであるか身に染みて体験できるのだ。私たちは、国力を守る国民でなければならないと同時に、世界を平和に導くグローバルシチズンでもある。

☆しかし、実はグローバルシチズンになる教育プログラムは日本には存在しない。だからクリティカルシンキングなど学習指導要領に盛り込まれることはなかった。「主体的・対話的で深い学び」として、それが盛り込まれているのかもしれないが、その学びは資質能力のためのものであり、スキルとして可視化されているわけではない。

☆実は、21世紀型スキルというのは、グローバルシチズンになるための学びのスキルである。ところが、日本で21世紀型スキルというと、学習指導要領改訂のための目録で終わってしまう。

☆コミュニケーションスキル、コラボレーションスキル、ロジカルシンキングスキルと呼ばれることはある。しかし、それはスキルをカテゴライズするインデックスに過ぎない。コミュニケーションという資質能力を育成するスキルの体系が具体的にあるのに、それは可視化されない。

☆だから、そのコミュニケーション能力がグローバルシチズンシップを養うものであるかどうか共有できないのである。

☆スキルとして、可視化しない限り、連綿と続く日本の文化のDNAベースのコミュニケーションやコラボレーション、ロジカルシンキグ(と呼べるかどうかはわからないが)しか育たない。

☆ところが、文化学園大学は、世界の人気ファッション大学で常にトップ10入りし、2015年は第2位である。

1位 セントラル・セントマーチン芸術大学 (ロンドン)

2位 文化学園大学 (日本)

3位 ケンジントン大学 (イギリス)

4位 パーソンズ美術大学  (アメリカ)

5位 ニューヨークファッション工科大学 (アメリカ)

☆もちろん、日本文化が人気があるということもあるが、それだけでは2位にはなれない。世界共通感覚がなければ共感してもらえないからだ。もともとグローバルシチズンとしての感性をもっていたから、そこを見込まれて、BC州が連携を決断したわけで、連携したいからというだけでそれはできない。

☆そして、その感性を、中高の教育に可視化したのが、文杉なのだ。可視化されたもの、たとえば、ルーブリックは学園全体で共有されているから、グローバルシチズンシップの感性は学内全体で共有されるのだ。

☆昨今、成長なき社会でよいのだと言われるが、それは理想的コミュニティの話で、現実にはなかなか降りてこない。まして、国力だけにこだわっていたのでは、そんな理想は妄想だと現政権にすでに排除されているとおりのことになってしまう。

☆成長とは何か?根源的な議論が世界の人々とできるには、国力と国力の局面ではできない。グローバルシチズン同士の場でなければならないだろう。しかも、それは政治というより、多様な文化的なグローバルコミュティの広がりによってなされるだろう。

☆政治経済による平和も重要であるが、それは緊張を生み出すしかない。やはり文化経済による平和を生み出すカント的な世界市民の発想は、今更ながら再考される時がきたようだ。

☆そのようなことを真正面から学びの中で取り組んでいるのが文杉のDDコースである。海外の大学への道に開かれ、そこで豊かな精神を育んでいくには、そのようなビジョンが欠かせないのである。

☆海外の大学に進んでも、豊かな精神ではなく、合理的で功利主義的な戦略思考を持ち帰る人材は多い。グローバルシチズンシップがベースにないからである。逆説的だが、国力を国力によって支えるようとすると衰退してしまうものだ。

☆国民としての発想とグローバルシチズンとしての精神の統合を学べるチャンスを創り上げた文杉は今後注目され続けることになるだろう。まず、文科省が研究対象にすることは間違いない。すでに動き出しているかもしれない。IBやSGHによらない新しいモデルとして、研究しないわけにはいかないだろう。

 

 

 

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