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栄光の知/血

☆栄光学園OB養老孟司さんと隈研吾さんの対話が実におもしろい。お二人のプロフィールはもう説明するまでもないだろう。超有名人だし、2020年東京オリンピック・パラリンピックの新国立競技場の設計者は、隈研吾さん。コンクリではなく「木材」で日本に自信をという設計コンセプトは、広く受け入れらている。
 
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☆しかし、このコンセプトは、この建物だけの話ではない。養老さんも自分の研究領域でも同じであると共感しているぐらいだ。
 
☆そして、二人は、そういうコンセプトに親和性があるのは、どうやら栄光学園で思春期を送ったからではないかと語っている。興味深いのは、自分たちの思想形成に同学園の経営母体イエズス会の影響が大きかったとまで明言しているところである。
 
☆近代社会の専門家主義・合理主義を、斜めに斬る対話は、自ずと有機的な自然・社会・精神のつながりを重視する発想に収斂していく。
 
☆二人の思想を表すキーワードが、いくつもでてくるのだけれど、たとえば、「だましだまし」ということば。同書ででてくる「現場主義」というキ-ワードにも関係してくるが、ユートピア偏重主義を否定して、理想と現実をつなぐ知恵の話。現代流にいえば、アダプティブな発想ということだろう。
 
☆「ともだおれ」というのもある。これはネットワークとかコミュニティとかいうことだろう。部分が輝けば全体も輝くが、部分が壊死すると全体も死滅する。「ともだおれ」の覚悟のかけがえのなさを語っている。
 
☆江戸時代の「家族制度」の見直しと二人がいったとき、江戸時代賛美ではなく、時代を超えた信頼関係の絆の話をしているわけだが、日本の文化の良さに目を向けると、江戸のシステムの中には捨てがたいものがでてくるのもわからないわけではない。
☆だから「参勤交代」だよなんて話にもなる。何も封建社会を肯定しているわけではなく、これはグローバルな旅が必要なんだよという話に置き換えると誤解は避けられる。
 
☆もう一つとても気になる着目点は、「液状化現象」。この本は、3・11を契機に、本質を見抜くにはどうしたらよいのか「現場主義」的鋭い感覚から、必然的に著されたものであるから、3・11のときの「液状化現象」がなぜ起きたのかまで考察している。
 
☆建物は大丈夫だったのだが、土台の土地が液状化現象を起こして、建物が使えなくなったケースについて語り合う。
 
☆あれだけの地震だから防ぎようのない自然の猛威として畏敬の念をもちはしたが、そこから何かを考えるなんて思いもよらなかった。
 
☆もちろん、液状化現象を避けることはできないと養老さんは語る。しかし、なぜこの場所に家を建てたのか。建築する前に、なんとかならなかったのかと。
☆隈研吾さんは、こう語っている。
「液状化問題というのは、建築と土木という縦割りの世界の境界にあるものなんです。だから実は、土木の人も、建築の人も、液状化に関してはどっちちも責任を感じていない。土木の人は、大きな橋梁を作るとか、土地を埋め立てるとか、そういう大きな絵を描く。敷地に分割してからは、建築の人の仕事です。建築の人は建築の図面は描くけれど、それが建つ地面に関しては実はよく分かっていない。土木の人も境目のことはよく分かっていない。ということで、津波と同じく、液状化の問題もノーマークでした。結局、土木も建築も大地というナマモノ、ナマな自然の前では無力だったという、当たり前の事実の再確認なんですけどね。」
☆しかし、隈研吾さんは、これは日本だけではなく、近代的なテクノロジーの宿命だと一般化する。
「レオナルド・ダ・ヴィンチがひとりで建築の絵を描いて、土木の計画図も起こしていた時代だったら、その過程で起こる問題は個人の想像力でカバーできていたわけです。でも、近代のテクノロジーは分業が基本ですから、どうしても境目ができる。」
☆すると、養老さんが「ジャンルごとに専門化する代わりに、隙間の部分は穴が開いたままなんだね」と念を押す。
 
☆ここで、昆虫博士と建築博士は、たんなる談話ではなく、鋭く近代テクノロジーの分断主義のジレンマに到達する。合理的で効率の良さが、実は穴があいていることに気づかない科学的失敗をし続ける。その穴が液状化現象を引き起こす。この「液状化」を、個人化が微分化して、隙間が社会にあふれ問題が噴出しているのに気づかない個人化社会の比喩に、ジグムント・バウマンが使っていたが、親和性がある。
 
☆なるほど二人は自分たちのことをイエズス会の末裔と語るはずだ。自然と社会と精神の隙間を埋めるブドウの木の比喩に通じるのだろう。
 
☆そうえいば、栄光学園は、休み時間に中間体操として外に出て上半身裸で、体操をするのは、自然と身体の循環を体感し、両者の間に隙間を作らないようにする試みなのかもしれない。
 
☆作文という自分を見つめる時間を大切にするのも、習慣上の自分とあるべき自分の間にできる隙間を埋める学びの時間なのかもしれない。
 
☆養老さんは、かつて科学的には不合理で理不尽なものも時には必要なんだと語ったときがあるが、まさにそういうことだったのだと今更ながら納得した。
 
☆近代合理主義は、世界を創るけれど、そこには世界は表れてこないという一見自己言及的な言い方を、最近の若い哲学者はテーゼとして語るが、その思弁的実証主義は現代美術でもトレンドになっている。しかし、それを先取りしている二人の対話に、真理は時を超えるなあと感じ入る。隙間に空いた穴にこそ世界の真理があるのに、造られた世界には、その世界は表れてこないのであると。
 
☆隙間を越境する知恵、beingとbeingの間にある真実の存在interbeingを現代哲学、現代美術はゲットしようとしている。すでに、栄光は、それを中高という教育の中で実現してきた。
 
☆21世紀型教育が再構築しようとしているリベラルアーツの現代化は、栄光の知/血に通じるところがある。偏差値が高い栄光学園だから、そんなことができるのだ、そうでなければ教科越境型教育なんてできないとあきらめる必要などまったくないということだろう。
 
☆そんな合理主義こそ、偏差値と偏差値の隙間にある子供たちの才能という真理を看過しているのだ。「思考コード」」という多元的才能を汲み取る首都圏模試や21世紀型教育校の取り組みは、その隙間にある真理を創造/想像できる学びを追い求めようという意思が働いている。その意志は、これからの教育の共通リソースになるのだろう。

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