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【メモ】佐野先生と金井先生の新しいものの見方

☆佐野先生と金井先生と対話していると、勇気をもらえる。おそらくそれは皆さんも同じだろう。ただ、どうしてそうなるのか。そこは不思議だ。不思議なままにしておいて、不安になったり、恐怖を感じたりしたとき、扉をたたくでよいのかもしれない。
 
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(ありし日のかえつ有明の研修で)
 
☆しかしながら、それではもったいない。というのも、佐野先生や金井先生のような教師がたくさん増えれば、それだけ、生徒や同僚が、仲間性を共有し、穏やかになるし、敏感に問題に気づくようになる。そして、仲間という絆がしじに広がる。
 
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(かえつ有明の仲間性のあらわれ。ありし日の研修で)
 
☆そして、もちろん、アクションを起こすことができる。人生そのものがPBLなわけだ。この仲間性の共鳴共感共振が広がることはすてきではないか。
 
☆たしかにその通りなのだが、では、佐野先生や金井先生の存在とは何なのか。少なくとも2人は、interbeingであって、そのうえで自己沈潜し、仲間性を豊かにしている。あるいはその逆だからこそ仲間性が生まれてくるのかもしれない。そこは相互関係なのだろうが、果たしてこのような存在はいかにして可能なのか?
 
☆それには、まず優勝劣敗という発想とか、VC的コミュニケーションとか、捨てなければならない。しかし、それでもなお、仲間性は見えてこない。
 
☆存在を見つけようとしている限り、存在の世界性は表れてこない世界にいるからだ。
 
☆また、本間は何を言っているのか?と思われるだろう。その通り。私も了解不能な地平に今はいる。この現実社会で存在を存在たらしめている呪縛の中にいるから、了解できない。了解できないから、世界性は世界に表れてきているのに見えないのである。
 
☆では、その呪縛とは何か?そこが問題だ。それは、私たちが本質と現象とか、表層と深層とか表現しているものの見方である。
 
☆世界性はそこに表れているのに、それを本質というものに埋め込んでしまう。そして、本質は目に見えない。見えるのは現象だけだと、あえて本質を見ないように逃げ道を私たちは何故かつくっている。
 
☆そこには、現実は、現象に翻弄されて、悲喜こもごもが、心地よいのであるというパラドクスがある。本質を知ると、変わらざるを得なくなるし、行動を起こさざるを得なくなるからだ。
 
☆佐野先生や金井先生も、人生は言語規定性から逃れられないから、本質と現象とか、本当のことと表面的なことなどのフレーズを使うことは使う。
 
☆しかし、一般とは違うものの見方をしているから、本質を解体して、こちらは現象、あっちは本質と分断して、イリュージョンとしての現象を見ている自分を徹知的に見つめ直して、本質そのものを現象に置き換える自己変容型知性を常に発揮している。
 
☆だから、同僚と話している時に、なぜそんな現象的な側面にこだわるのだ、本質は別にあるからいいじゃないかという考え方に、しつこく対話を挑む。本質そのものを回復して、現実に本質そのものを回帰させたいと。
 
☆要素分解して、これが現象、あれが本質として、安心安全の幻想を抱くことにしつこく違うのではないかと対話をしかける。
 
☆現象だと思っていることも本質でみえないと思っていることも、関係総体としてみれば、そこには現象=本質という存在性が出現するのだと。
 
☆しかし、ここにも罠がある。論理的に考えていくだけでは、現象=本質だから、本質を切り離し、この世に本質はいらない。移ろいゆく現象だけが真理なのだというネガティブファンタジーが蔓延する怖れ。
 
☆そうではない。この世には本質しかないが、関係性が十分でないと、本質≠現象と見えてしまうのだ。関係性をいつも大事にするinterbeingという仲間性が重要になる。関係性が十分でないことを対話によってモニタリングして、回復しようという気持ちのシェアリングができる泉がこんこんと湧き出でるには、その仲間性が重要なのである。
 
☆仲間と仲間性はちょっと違う。仲間性なき仲間は同僚であるからだ。逆に、仲間性のある同僚は、仲間なのだ。
 
☆自己研鑽、自己マスタリーの果てにでてくる仲間性を共鳴共感共振する教師が一丸となっている学校で、学ぶことができたら、生徒はどんなに幸せなことだろう。
 

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