レッジョ・アプローチと思考コード
☆ヘックマン教授の「幼児教育」がにわかにトレンドになり、国の教育政策にまで影響を与える時代。また、2018年5月2日に3歳となるシャーロット王女が、一家が暮らすロンドン中心部の公邸であるケンジントン宮殿から歩いてすぐそばの教会施設に設置された私立幼稚園「ウィルコックス・ナーサリースクール」に初登園したニュースが世界中に配信される時代。そして、幼児教育において憧れのレッジョ・エミリア・アプローチが世界に広まる時代。
☆今なぜ幼児教育なのか?どうやら、幼児期に芸術的な環境に育つことが、認知能力ばかりではなく非認知能力である想像力や感性、共感力を大いに育てることが、経験上そして脳科学などデータによって証明されてきたということがあるだろう。
☆しかし、本当の理由は、AIの進化で、人間存在そのものの再定義をしなければならない時代になったからであろう。つまり、創造性を養うにはどうしたらよいのか?すると、どうやら大人になってからではなく、幼児期の教育が大きく関係するのではないかと。
☆そこで、レッジョ・エミリアの幼児教育創設にかかわった哲学者ローリス・マラグッツィの構想を実現した実績を展覧会で世界に発信するために行われてきた「子どもたちの100の言葉」の記録が、そのまま本になっているので、読んでみた。
☆レッジョ・エミリアは、中世自由都市のようなコミュニティで、教会権力やファシズムと闘ってきた小さな都市で、戦後、その意志を継いで、市民が子どもたちをそういう権力から解放して創造性の芽を摘まないようにしてきた創造的破壊教育である。
☆アートを軸に生徒のクリエイティビティを豊かにする教育環境をつくってきた。アトリエリスタ(美術専門家)とペダゴジスタ(幼児教育専門家)というプロのスタッフが参加し、保育士といっしょに子どもの創造的活動をデザインしていくから、生半なコミュニティではない。
☆たんなる教育手法ではなく、生活そのものが教育コミュニティであるから、そのようなシステムを構築するには、政治や経済、教育、自然、マインドなどトータルな循環を生み出すパワーが必要だ。
☆レッジョ・エミリアという都市は、国とある時は闘い、ある時は協力し合いと「だましだまし」したたかに生き抜いてきた。すべては子どもの創造性を解放するという最高善のためならと、なんでもやってきたのである。
☆だから、レッジョ・チルドレン財団という組織をつくり、世界に広げるマーケットも創って、やってきたわけだ。創造的な教育空間だけみてすばらしいとだけは言っていられない。マーケット(といっても強欲マーケットではなく、公明正大な市場形成をする場)を創るバックヤードという舞台裏の権力とやり合う強烈な意志と行為があってこそなのだ。
☆ここまで含めての市民であり、だからこそ本物の行動をし続けた。マーケットは、レッジョ・アプローチを受け入れ、広がった。今ではグローバルなレッジョ・エミリア市民が拡散しているわけだ。したがって、レッジョ・エミリア市民こそグローバルシチズンシップの持ち主で、人間を一個のbeingとだけみなすのではなく、相互存在interbeingとしてみなしているのだと思う。
☆しかし、なぜゆえにそんなことができるのか?その強烈な創造性を育む行為が成り立つのはなぜか?その回答は、写真で示した「子どものたちの100の言葉」という本の中にあった。
☆たとえば、「アイデアのあれこれ」という章を読むと、「小石が並んだ。なんてきれい!」というプログラムがある。たしかに驚くほど創造性豊かだが、どんな小石を並べようかなど、「比較・対照」のスキルを活用しているし、何をどう並べるか順番という関係スキルを活用している。もちろん、知識なんていらないから、多様な石を比べながら関係をいろいろ思い巡らして並べていく。もはや創造性の領域。
☆エッ!つまり、「思考コード」のC領域だし、そこで「比較・対照」と「統合・構造」というスキルをふんだんに使ている。もちろん、子どもたちは、そんなことを意識していない。しかし、いずれメタ認知という非認知能力が働くようになるから、自分たちの創造行為をモニタリングできるようになるだろう。
☆「木のブレスレット」も、チームで木の周りを歩き回り、手をつないで、大きな木の周りを囲むそんな体感を大切にしているが、そこで終わらない。針金で木の周りをなぞり、それをはずしてブレスレットに転換するというスキルを活用している。
☆同書は、どのページを開いても「思考コード」と「思考スキル」がダイナミックに動いているのが見える。闇雲にプログラムが作成されているのではなく、子どもたちが活動する土壌という「思考コード」が設定され、作業するときのツールは「思考スキル」の種であるかのようにデザインされている。
☆なるほど、このコミュニティには、アトリエリスタ(美術専門家)とペダゴジスタ(幼児教育専門家)の両方がきちんと用意されているはずだ。スキルはアトリエスタが受け持ち、思考コードはペダゴジスタが担当しているのだ。
☆もちろん、ペダゴジスタは上記「思考コード」を知っているわけではない。しかし、この「思考コード」のルーツもペダゴジスタの師であるローリス・マラグッツィのルーツも、リスボン大地震のときに誕生した啓蒙思想である。たとえば、ピアジェもその系譜だが、MITメディアラボの土台を築いた故シーモアパパート教授もピアジェから出発している。
☆つまり、発達心理学と啓蒙思想の統合から生まれた新しい独自のそれでいて普遍的な発想を共有しているのである。だから、≪私学の系譜≫と親和性があるのだ。
☆それに、認知能力と非認知能力の未分化状態である子どもの活動をみていて、逆に、思考とは、認知能力と非認知能力の統合体だということがわかる。それが、 ローリス・マラグッツィが語るように、子どもは100の言葉を持っているのに、大人になるにつれ、99の言葉をはく奪されると。
☆つまり、思考の1%である認知能力のみに偏重されてしまうのだ。今や99%の非認知能力の回復をしなくてはならない。1%はAIと組んでより効率よくやっていけばよいが、AIは99%の非認知能力をまだまだ人間の替わりに主体的に動いてくれることはないだろう。
☆なるほど、中学入試で新タイプ入試が増えてきたはずだ。特に思考力入試は思考の99%シェアである創造的思考を大切にする。ようやくそういう時代がやってきたのである。
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