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2019年中学入試の新フレーム(01) 従来型中学受験市場と新中学入試市場のカテゴリーが明快になった。優勝劣敗型個人から集合天才型個人へ

☆今年の中学入試は終わったが、2月11日以降の歩留まりの動きがどうなるか、学校も塾もまだ緊張が解けていない。しかし、2018年の新タイプ入試の悲喜こもごもと出願の相関を見ながら、いきついた中学入試の新しい枠組みは、次のようなベン図で表現できると今のところ思っている。
 
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☆新中学入試市場は、新タイプ入試を実施する市場のことを言うのだが、入試というのは学校の顔と言われている。つまり、アドミッションポリシーとして、カリキュラムポリシーやディプロマポリシーとして表明されている学校の教育が反映している。
 
☆したがって、新タイプ入試を実施している学校を調べることにより、上記のようなベン図ができることがわかった。
 
☆2018年の首都圏中学入試に挑戦した数は、私のまったくの独断と偏見だが、44,500人と推計。従来型の受験者が39,000人で、新タイプ入試挑戦者が10,000人。そのうち、新タイプ入試だけ挑戦した生徒は、3,500人(思考力入試、適性検査型入試、自己アピール型入試、総合型入試、etc.)。それ以外に帰国生が2,000人だから合計44500人。公立中高一貫校受検者も含めれば50,000人は超える。
 
☆学校選択者の視点からみて、シンプルに次のように学校の特徴をまとめてみた。
 
Ⅰ進学力×受験英語

Ⅱ(進学力+革新力)×受験英語

Ⅲ(進学力+革新力)×グローバル教育

Ⅳ(進学力×革新力)×受験英語

Ⅴ(進学力×革新力)×グローバル教育
 
☆これを全部ベン図で表現すると、わかりにくくなるので、学校の特徴タイプⅠ~タイプⅢまでを、「従来型中学受験市場」のカテゴリーに入れた。「新中学入試市場」のカテゴリーにはタイプⅤをいれた。タイプⅣは、両市場の重なった部分である。
 
☆昨年までは、タイプⅢとタイプⅣが少なかったために、20世紀型教育と数少ない21世紀型教育という分け方で語れたのだが、タイプⅢが顕在化し、Ⅳも増えた。この20世紀型教育と21世紀型教育の接するあたりの学校教育がクローズアップされたことにより、ようやく新中学入試市場が確立したといえよう。
 
☆さて、「従来型中学受験市場」というのは、マーケットの覇権を塾歴社会が握っている。高偏差値学校は、否応なく塾歴社会に巻き込まれる。タイプⅢは、そこからなんとか距離を置きたいと考えつつも、取り込まれてしまっている感じというのが本当のところだろう。
 
☆しかし、「新中学入試市場」は、生徒1人ひとりの才能を大切にするアダプティブラーニングを共有する学校と塾のゆるやかなコミュニティが市場を共創する流れ。そうはいいながら、三田国際のように塾歴社会が迫っているケースもある。しかし、同校は、学校ばかりではなく、生徒の中にも、やむを得ず、塾歴社会に入って、そこからできれば抜けたいと思っている生徒もいて、潜在的に新中学入試市場で学びたいと思っている生徒がいるという現実を見つめ、そこにむかって情報を発信している。
 
☆20世紀型経済政治社会は、いよいよ暗黒面を全面に出し、最後のあがきを行っているから、経済に最も左右される中学入試市場がその枠組みとシンクロするのもしかたがない。
 
☆いやしかし、だとすると、産業社会が第4次産業革命にシフトするとき、産業組織も変容する。実際に、一人一人の働き方も多様になるどころか、産業組織>個人から産業組織=集合天才型個人にシフトしているところもある。
 
☆そのシフトグループの家庭が、わが子の学校を選ぶとき、タイプⅢやタイプⅤを選択するようになる。なぜⅤにならないか?それは演算記号である+と×の見分けは、まだまだ認識しにくい。明快に表現しているところは、三田国際、聖学院などがすぐに思い浮かぶであろうが。
 
☆それ以外は、雰囲気、共感力でカバーしていると思う。
 
☆しかしながら、暗黒面が前面にでてきて、政治経済は大きく揺れ動くから、その亀裂から、フランケンシュタインパラドクスが生まれてくる。このとき、自らのよりどころである、生きる価値の前提や足場を自ら創れないと不安の渦に巻き込まれていく。
 
☆その前提や足場を創り、不安の渦を回避するには、Practical Wisdomとしての理性が再び必要となる。もちろん、共感という感性はPracticalな感性として必要なのである。しかし、情動的共感が、フランケンシュタインパラドクスを解くことができず、そのカオスから創造的問題解決を生み出すのではなく、逆に不安を創造する側に回ってしまうのだ。
 
☆タイプⅤの学校は、このPractical Wisodomとしての理性を学校全体でシェアできる。タイプⅢの学校は、教師次第、生徒次第である。
 
☆というのも、すでに21世紀にまで生き延びている暗黒面は、液状化した個人主義を広め、彼らのよりどころは塾歴や経済的保障という安心安全の足場で、それは他者がつくったものに乗る形の場合が多い。その勝ち馬が、暗黒面の上を走っているかどうかは、クリティカルシンキングは働かない。つまり、Practical Wisdomとしての理性は働かない。
 
☆タイプⅢの学校は、それゆえ、それに気づく教師もいるし、生徒もいるが、学校全体としての従来型の教養主義が、根底で、コミュタリアニズムよりリバタリアニズムを好むので、組織として未来を創る理念を共有できない。普遍主義という名の20世紀社会を創り上げてきた教養の枠の中で思考する習慣を脱するのはなかなか難しい。
 
☆組織としては、国家>産業>個人という枠の中で、優勝劣敗を競う美を追い求め続けているが、個人としては、国家<産業<個人だと幻想を抱いてもいる。このズレが経済格差とともに大きくなり、液状化現象を起こしているが、経済格差故、富裕層側にいると、その現象に気づけない。
 
☆しかし、集合天才型個人>グローバル市民社会>産業>国家というAI社会の時代を迎えるにあたり、この集合天才型個人を育成する学びの拠点が必要になるのは、論理必然である。その拠点のが、タイプⅤの学校であり、塾などの学びのコミュニティである。
 
 
 

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